定期的に起こることですが、また"テレビ"に関する批判が目立つようになってきています。それもまぁしょうがないことでしょう。いまや"テレビ"に対して満足感はと聞かれれば「不満」一択でしょうから。誰か一人でもその不満をネット上で語ろうものなら、あっという間に伝染波及してその波はなかなか引きませんからね。その一方で不満を持っていない人がじゃぁ満足しているかと思えばそうでもなく、そういう人の大半は「関心がない」になってます。「"好き"の反対は"嫌い"じゃなくて"無関心"」というフレーズは誰が言い出したか知りませんが、"テレビ"に関しては「"嫌い"の反対の"無関心"」になってしまいつつあるわけです。
ただし、今回のテレビ批判の中身を見ると、その不満点はテレビと言うより「放送」、それも「地上波放送」のやり方にほぼ集中しています。「地上波="テレビ"」他にテレビの利用方法が無かった時代の使い古された図式かと思いきや、いまだにその考え方が支配的であることに驚いてしまいます。もちろん地上波放送局はその図式を守るため、最大限の努力をしたことも事実です。批判している人すら無意識にその式を守っているということは、それは成功したということでしょう。なんだかんだ言われても、地上波の影響力はそれだけすごいということなのです。
デジタル放送への移行というある意味最大のピンチにもかかわらず、ネットに巻き込まれることも衛星放送の利用も徹底的に拒否し続けることで地域ごとの放送差別という地上波の利点を守り続け、時代の流れに流されることが無く、かつ新たな利益を生むために録画を規制し、さらにはB-CAS方式を導入することでそこらはみ出そうとするものから販売権を奪うことで、見事その波を乗り切った地上波放送。これらは、今までどおり庶民が"テレビ"を崇め奉り続ける限り、永久に王座を約束し、無限の利益を生み続ける戦略であったと言えます。実際には時代の流れに逆らい続けることによって王座は王座でも裸の王座となり、ごく限られた用途以外では多くの人からそっぽを向かれるようになるというこんにちの事態を迎えたわけですが、まぁそれは放送局が選んだ道の必然的結果ですから仕方の無い話でしょう。まさか高学歴な方々の集まりである放送業界が、こうなることを予測していなかった、なんてことは絶対ありえない話ですから。
てなわけで、現在のテレビ批判はもっぱら"テレビ"、地上波放送にあるわけです。少し前はそうではありませんでしたね。テレビ批判はテレビという映像装置そのものにありました。すなわち「コンテンツもろくにないのに"3D"なんてやっても売れるわけが無い」と。この批判は、見方を変えれば「地上波放送で3D放送が行われてもしないと3Dなどあっても意味が無い」と言っているのと同じでした。このときは、逆に地上波放送は映像装置よりも高く見られていたように思います。まだデジタル放送に移行したばかりで、「デジタル放送の本領発揮はこれから」という期待も、うっすらとながらあったのでしょう。もちろんその期待は見事裏切られ、本領発揮どころか悪いところは残り、良いところはどんどん消えていくという悪循環が繰り返されるばかりになってます。今の批判も、「期待をこめての批判」ではなく、「言いたいこと言ってスッキリしたいだけの批判」が主流と言って良いでしょう。わたしも地上波には期待しなくなって久しく、衛星放送でやってない番組だから地上波で見るという程度でしかありません。ええ、ヤマトのことですけどね(笑)。
ただ、"テレビ"は期待していなくてもわたしはまだテレビには期待しています。映像装置としてのテレビはまだ取って代われるものがありません。プロジェクターは大げさですしね。強いて代用品として使えそうなのはデスクトップパソコンですが、CPUメーカーのIntelが次世代からノーパソ向けCPUに主力を完全に移す以上、今後は期待できませんし。ノートに外付けディスプレイを点けて無理やり代用にしようにも、GPUの交換もままならないシステムではしょせん代用の代用にしかなりませんから。そう考えるとやはりテレビ。コンテンツ主体の衛星放送やBD/DVDのソフト、ゲームの出力先としてはやはりテレビこそ本命です。
地上波の没落に引きずられることなくテレビが再び浮上するには、やはり"地上波=テレビ"の概念を払拭するしかありません。最近では有機ELだったり4K2Kだったりと次世代テレビの話題も多いですが、いずれも地上波など考慮に入れる必要のない技術です。いくら強力な超解像技術を導入して4K化しても、映す素材がひな壇セットのタレントのおしゃべりじゃどうしようもないですし、電波に余裕のない地上波で4K放送など仮に可能だったとしても他が黙っていませんから。地上波を切り捨て・・・とまではいかなくても、数あるコンテンツの一部くらいに格下げさせない限り、どんなすごい技術のテレビを作っても3Dの二の舞です。
実際最近のテレビにはそういう傾向が見られます。OSを搭載し、起動画面がまず映るものが多くなっているのです。多機能を搭載するのが最大の目的でしょうが、真っ先にテレビに映る映像を地上波にしないことでイメージを薄くする効果も狙っているのでしょう。ネットにつないだりそこの動画が視聴できる機能も賛否両論でしょうが、多くの家にすでにあるネット接続を使ってもらうことで、衛星放送のない家でも地上波以外のテレビ活用範囲を広げる期待が出来ます。見た目だけでなく、テレビ復権のため、こうした"脱地上波"の押し付けではない自然な提案は必ず必要なのです。他国じゃ必ずしも地上波が放送を支配しているわけではないみたいですしね。
一方で、放送局側はなおもテレビを地上波放送の支配下に置こうとしています。
テレビをスマホに転送!ネットに繋がれば海外でも
いただいた情報ですので、せっかくですからこちらをまず紹介。ちなみにこの記事も「地上波=テレビ」でかかれていますね。
そのさらにリンク先に日経の記事があります。会員以外は全文よめませんが、見られる範囲にこんな一文があるのです。
"NHKと在京民放5局は年内にも、テレビ放送をインターネット経由でスマートフォン(スマホ)などに無料で転送するサービスを始める"
おそらく技術的にはDTCP+の延長、DTCP+では録画済みのものしか転送させてもらえませんが、それを放送まで広げようと言うものです。ただ、それなら「テレビ局がサービスを始める」必要などないはずです。実際Slingboxを使えば、現在でも転送は可能なのですから。
Sling Media インターネット映像配信システム Slingbox 350 SMSBX1H111Sling MediaSling Media
そのサービスが、ネットを通じてどこでもキー局の放送が見られる、なら話は別ですし歓迎です。しかし、どちらの記事も「転送するテレビを発売する」と書いてあるわけですから、転送機能付テレビを設置した家で受信できる放送しか転送できない、つまり、「放送局がサービスを始める」必要など全く無いのです。つまり、放送局がネットを利用した再転送すら支配しようとしているということです。ちなみにSlingboxは受信機のレコーダーにD端子かコンポーネント端子がなければ性能を発揮できません。最近急速にレコーダーからD端子が消えているのは、どうやらSlingboxをつぶして、その事業を放送側の手のひらの上に置くのが目的の一つであったようです。多分、転送は単独機器では行えず、例によってB-CASカードを使わない機器の発売を禁止させる腹なのでしょう。まねきTVを裁判の連続で叩き潰したことにより、その足場は整っていますから。これらの転送の機能をテレビに(多分レコーダーでも使えるようになるとは思いますが・・・)搭載させ、あらたな買い替え需要を起こすとともに、自分らが直接サーバーを使うことのなくスマホやタブレットのコンテンツとしても主力になること、地上波の影響力の拡大、そして機器メーカーの実質的服従を狙っているものと思います。もちろんそんなにうまくいくことはないですが、ネット経由での番組転送を支配することで機器メーカーが動きにくくはなるはず。余計な規制さえなければパソコンがあれば転送なんていくらでも方法はありますが、それを法律の強化でやりにくくさせているのですから。
現行の放送活用の規制とさえなくなればどうにでも転べますが、誰も責任を取りたがらない以上、それは難しい話になっています。ならば機器メーカーはいまなおお山の大将であろうとする地上波との蜜月関係を切り、総合コンテンツ表示機としてのテレビの道を歩むべきです。もちろん機器メーカーとてB-CASによって安売りや海外のメーカーを追い出し、デジタル放送の買い替え需要という美味しい市場を一部メーカーだけの半独占にしてしこたま儲けたはずですから、今現在被害者づらしているのはあまり面白くない話ではあります。ですが、地上波の支配を続けるためのテレビより高画質コンテンツを表示するためのテレビが主力になったほうが、少なくともわたしは得をしますから、まだ応援しようかという気になります。
そのための一つの提案ですが、「スマートテレビ」という名称を一部で使いたがる人がいますが、あれは避けた方がよろしい。スマートフォンが「スマホ」なら、スマートテレビは「スマテ」です。「ステマ」のアナグラムに見えて非常によろしくありません。それに、スマートテレビといえば総務省が「わが国発信の国際共通規格」とか言って委員会を立ち上げたことがあります。当然総務省は機器メーカーより放送局の味方ですから、スマートテレビを名乗ると地上波のために協力させられることは目に見えています。どうせそのうちかつての「マルチメディア」のように「スマート」も恥ずかしくて口に出したくなくなる言葉になります。ある意味不滅の固有名詞である「テレビ」の名は残しつつ、次世代を感じさせる名を別に用意すべきでしょう。いや、わたしはまだ思いつかないんですけどね。
ただし、今回のテレビ批判の中身を見ると、その不満点はテレビと言うより「放送」、それも「地上波放送」のやり方にほぼ集中しています。「地上波="テレビ"」他にテレビの利用方法が無かった時代の使い古された図式かと思いきや、いまだにその考え方が支配的であることに驚いてしまいます。もちろん地上波放送局はその図式を守るため、最大限の努力をしたことも事実です。批判している人すら無意識にその式を守っているということは、それは成功したということでしょう。なんだかんだ言われても、地上波の影響力はそれだけすごいということなのです。
デジタル放送への移行というある意味最大のピンチにもかかわらず、ネットに巻き込まれることも衛星放送の利用も徹底的に拒否し続けることで地域ごとの放送差別という地上波の利点を守り続け、時代の流れに流されることが無く、かつ新たな利益を生むために録画を規制し、さらにはB-CAS方式を導入することでそこらはみ出そうとするものから販売権を奪うことで、見事その波を乗り切った地上波放送。これらは、今までどおり庶民が"テレビ"を崇め奉り続ける限り、永久に王座を約束し、無限の利益を生み続ける戦略であったと言えます。実際には時代の流れに逆らい続けることによって王座は王座でも裸の王座となり、ごく限られた用途以外では多くの人からそっぽを向かれるようになるというこんにちの事態を迎えたわけですが、まぁそれは放送局が選んだ道の必然的結果ですから仕方の無い話でしょう。まさか高学歴な方々の集まりである放送業界が、こうなることを予測していなかった、なんてことは絶対ありえない話ですから。
てなわけで、現在のテレビ批判はもっぱら"テレビ"、地上波放送にあるわけです。少し前はそうではありませんでしたね。テレビ批判はテレビという映像装置そのものにありました。すなわち「コンテンツもろくにないのに"3D"なんてやっても売れるわけが無い」と。この批判は、見方を変えれば「地上波放送で3D放送が行われてもしないと3Dなどあっても意味が無い」と言っているのと同じでした。このときは、逆に地上波放送は映像装置よりも高く見られていたように思います。まだデジタル放送に移行したばかりで、「デジタル放送の本領発揮はこれから」という期待も、うっすらとながらあったのでしょう。もちろんその期待は見事裏切られ、本領発揮どころか悪いところは残り、良いところはどんどん消えていくという悪循環が繰り返されるばかりになってます。今の批判も、「期待をこめての批判」ではなく、「言いたいこと言ってスッキリしたいだけの批判」が主流と言って良いでしょう。わたしも地上波には期待しなくなって久しく、衛星放送でやってない番組だから地上波で見るという程度でしかありません。ええ、ヤマトのことですけどね(笑)。
ただ、"テレビ"は期待していなくてもわたしはまだテレビには期待しています。映像装置としてのテレビはまだ取って代われるものがありません。プロジェクターは大げさですしね。強いて代用品として使えそうなのはデスクトップパソコンですが、CPUメーカーのIntelが次世代からノーパソ向けCPUに主力を完全に移す以上、今後は期待できませんし。ノートに外付けディスプレイを点けて無理やり代用にしようにも、GPUの交換もままならないシステムではしょせん代用の代用にしかなりませんから。そう考えるとやはりテレビ。コンテンツ主体の衛星放送やBD/DVDのソフト、ゲームの出力先としてはやはりテレビこそ本命です。
地上波の没落に引きずられることなくテレビが再び浮上するには、やはり"地上波=テレビ"の概念を払拭するしかありません。最近では有機ELだったり4K2Kだったりと次世代テレビの話題も多いですが、いずれも地上波など考慮に入れる必要のない技術です。いくら強力な超解像技術を導入して4K化しても、映す素材がひな壇セットのタレントのおしゃべりじゃどうしようもないですし、電波に余裕のない地上波で4K放送など仮に可能だったとしても他が黙っていませんから。地上波を切り捨て・・・とまではいかなくても、数あるコンテンツの一部くらいに格下げさせない限り、どんなすごい技術のテレビを作っても3Dの二の舞です。
実際最近のテレビにはそういう傾向が見られます。OSを搭載し、起動画面がまず映るものが多くなっているのです。多機能を搭載するのが最大の目的でしょうが、真っ先にテレビに映る映像を地上波にしないことでイメージを薄くする効果も狙っているのでしょう。ネットにつないだりそこの動画が視聴できる機能も賛否両論でしょうが、多くの家にすでにあるネット接続を使ってもらうことで、衛星放送のない家でも地上波以外のテレビ活用範囲を広げる期待が出来ます。見た目だけでなく、テレビ復権のため、こうした"脱地上波"の押し付けではない自然な提案は必ず必要なのです。他国じゃ必ずしも地上波が放送を支配しているわけではないみたいですしね。
一方で、放送局側はなおもテレビを地上波放送の支配下に置こうとしています。
テレビをスマホに転送!ネットに繋がれば海外でも
いただいた情報ですので、せっかくですからこちらをまず紹介。ちなみにこの記事も「地上波=テレビ」でかかれていますね。
そのさらにリンク先に日経の記事があります。会員以外は全文よめませんが、見られる範囲にこんな一文があるのです。
"NHKと在京民放5局は年内にも、テレビ放送をインターネット経由でスマートフォン(スマホ)などに無料で転送するサービスを始める"
おそらく技術的にはDTCP+の延長、DTCP+では録画済みのものしか転送させてもらえませんが、それを放送まで広げようと言うものです。ただ、それなら「テレビ局がサービスを始める」必要などないはずです。実際Slingboxを使えば、現在でも転送は可能なのですから。

そのサービスが、ネットを通じてどこでもキー局の放送が見られる、なら話は別ですし歓迎です。しかし、どちらの記事も「転送するテレビを発売する」と書いてあるわけですから、転送機能付テレビを設置した家で受信できる放送しか転送できない、つまり、「放送局がサービスを始める」必要など全く無いのです。つまり、放送局がネットを利用した再転送すら支配しようとしているということです。ちなみにSlingboxは受信機のレコーダーにD端子かコンポーネント端子がなければ性能を発揮できません。最近急速にレコーダーからD端子が消えているのは、どうやらSlingboxをつぶして、その事業を放送側の手のひらの上に置くのが目的の一つであったようです。多分、転送は単独機器では行えず、例によってB-CASカードを使わない機器の発売を禁止させる腹なのでしょう。まねきTVを裁判の連続で叩き潰したことにより、その足場は整っていますから。これらの転送の機能をテレビに(多分レコーダーでも使えるようになるとは思いますが・・・)搭載させ、あらたな買い替え需要を起こすとともに、自分らが直接サーバーを使うことのなくスマホやタブレットのコンテンツとしても主力になること、地上波の影響力の拡大、そして機器メーカーの実質的服従を狙っているものと思います。もちろんそんなにうまくいくことはないですが、ネット経由での番組転送を支配することで機器メーカーが動きにくくはなるはず。余計な規制さえなければパソコンがあれば転送なんていくらでも方法はありますが、それを法律の強化でやりにくくさせているのですから。
現行の放送活用の規制とさえなくなればどうにでも転べますが、誰も責任を取りたがらない以上、それは難しい話になっています。ならば機器メーカーはいまなおお山の大将であろうとする地上波との蜜月関係を切り、総合コンテンツ表示機としてのテレビの道を歩むべきです。もちろん機器メーカーとてB-CASによって安売りや海外のメーカーを追い出し、デジタル放送の買い替え需要という美味しい市場を一部メーカーだけの半独占にしてしこたま儲けたはずですから、今現在被害者づらしているのはあまり面白くない話ではあります。ですが、地上波の支配を続けるためのテレビより高画質コンテンツを表示するためのテレビが主力になったほうが、少なくともわたしは得をしますから、まだ応援しようかという気になります。
そのための一つの提案ですが、「スマートテレビ」という名称を一部で使いたがる人がいますが、あれは避けた方がよろしい。スマートフォンが「スマホ」なら、スマートテレビは「スマテ」です。「ステマ」のアナグラムに見えて非常によろしくありません。それに、スマートテレビといえば総務省が「わが国発信の国際共通規格」とか言って委員会を立ち上げたことがあります。当然総務省は機器メーカーより放送局の味方ですから、スマートテレビを名乗ると地上波のために協力させられることは目に見えています。どうせそのうちかつての「マルチメディア」のように「スマート」も恥ずかしくて口に出したくなくなる言葉になります。ある意味不滅の固有名詞である「テレビ」の名は残しつつ、次世代を感じさせる名を別に用意すべきでしょう。いや、わたしはまだ思いつかないんですけどね。