※個人ブログゆえに内容に触れています
第二部の「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を見てテンションが上がり、楽しみにしていた完結編「GODZILLA 星を喰う者」が9日からついに公開。やはりいてもたってもいられず、ギリギリ間に合うと判断して初日の最終上映に行ってきました。
いや~、夜の回が信じられないほど映画館のロビーは混んでいます。もちろん全員がゴジラを見に来たわけではありませんが、相当数いますね。もうちょっと日数が経過してから見に来ればもっと空いていたのかも知れませんが、それにしても予想を超える混雑ぶりです。もちろんわたしは事前に席とチケットの予約を済ませていますから混んでいようと関係なし。それに、やはりといいますか、皆さん後ろにばかり行きたがりますので、わたしの座る前方(とうとう三部作全部同じ席で鑑賞するという快挙を成し遂げました(笑))に来る人は少なく、今までと大して変わらない環境でじっくりと鑑賞することができました。
三部作の三作目と言えば、当たり前ですが完結編になります。典型的三部作の一つと言えるのが「スター・ウォーズ」。これをテンプレと考えると
第一作目~局地的だが一応の勝利 第二作目~敗北と再出発 第三作~予定調和、あるいは大勝利でのハッピーエンド
となります。なのでわたしが当初「星を喰う者」のストーリーとして予想していたのは
"人類を一度外宇宙へ出し、ウラシマ効果によって地球に長い時間を経過させたのは、ギドラを探し出して地球まで誘導するためと、人類を疲弊させることで異星人エクシスを信頼させ、判断力を奪って生贄とするため。時間をかけてゴジラを最強の状態まで育て上げ、地球人を踏み台にすることでエクシスはかつて先祖を壊滅させたギドラの打倒をゴジラに行わせる計画だった。ついに地球までやってきたギドラはエクシス接触以前にも増した力を持ち、その猛威にさしものゴジラも劣勢。地球人一行は最後の望みをフツアの神の復活に託す。フツアの神の力でゴジラは力を増強、ギドラを倒すが、同時にすべての力を使い果たし、地球に根を張る休眠状態に入る。果たして次の復活は数年後か、それとも数万年後が・・・。人類はその限られた時間の間、地球上に再び居住することを望んだ。"
こんな感じでございました。第一作がファイナルウォーズ、第二作が東京SOSベースだとしたら第三作は怪獣大戦争かVSキングギドラベースという予想だったわけです。結果は・・・それなりに掠ってはいましたが、よく言って当たらずとも遠からず、くらいなものでした。今までは制作側の考えたSF設定にゴジラという存在を放り込んだ、な内容でしたが、今回は終始ファンタジー、精神的な独自の宗教概念のセリフが飛び交う話で、ある意味ハルオやゴジラの活躍は少なめという印象でした。一応科学的解釈で神の存在を肯定するという考え方(主に逆説を利用するようですが)はありますし、怪獣を生物ではなく土地神として解釈する話も過去に少なからずあります。ましてゴジラはその名を示す英単語は発音が狂うことを覚悟のうえで頭に"GOD"の三文字を入れたものですから、宗教的概念がSFや怪獣の描き方と矛盾するということはないです。ですが、その概念に基づく説明セリフが非常に多く、その反面ストーリーはあまり展開しませんし、ゴジラとギドラの戦いも動きの少ないもので、いわゆる怪獣バトルの醍醐味はあまりありませんでした。何よりギドラという存在を別宇宙からの干渉、というこの宇宙の物理法則も時間の概念もすべて捻じ曲げてしまう(あるいはそれすら喰らいつくす)存在として描いたためにゴジラはギドラに触っても触れることができず、ギドラはゴジラに一方的にかみついて攻撃できるという、ちょっと面白みに欠ける描き方(その割に、ゴジラの熱線だけはあえて捻じ曲げてまで接触を嫌がっていたような。当たれば通用したのかも)。セリフだけとはいえ、せっかく決戦地が聖地・富士山麓だというのにそれを活かすことはなかったのです。期待していたフツアの神も声とシルエットが特に意味なく、ファンへのサービス的に出てくるのみでちょっとガッカリ。決着も、一応ギドラは倒したものの、おそらくは現宇宙の物理法則に縛られた本体の一部とそのゲートをつぶしたのみで、完全に滅ぼしたとは言えないものでした。ただ、わたしがあの作中のギドラを推測する限り、現宇宙の"存続"と"成長"を善とする概念とは異なる別宇宙の"一つに戻ろうとする"概念そのもの、宇宙の一部が次元を超えて干渉してきた存在と言え、いくらゴジラでもそれを完全に滅ぼすことは出来ない存在だったように思うのです。何と断言できる知識はありませんが、本作は過去二作とは違い、モチーフを過去のゴジラ作品以外のところから持ってきたようです。
最後、ギドラという絶対的神の布教にあらがった人類は、土地神を信じるフツアの民につながる道を選びました。見方によってはこれは宗教戦争でした。そんな中、ただ一人そのどちらでもない神、ゴジラにその身をゆだねたのが主人公のハルオの描き方だったように思います。憎悪という名の敬愛を持って。最後の特攻は旧文明の痕跡をすべて消すため、ともとれる描き方ではありましたが、ハルオの信仰相手は結局ゴジラであったということだったように思えてしまいます。何回か見直せばまた別の考えも出てくるのかも知れませんが、現状ではこんなところです。
これでしばらくわたし向きの映画はないなぁ。次は半年後くらいかな? フフフ。
第二部の「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を見てテンションが上がり、楽しみにしていた完結編「GODZILLA 星を喰う者」が9日からついに公開。やはりいてもたってもいられず、ギリギリ間に合うと判断して初日の最終上映に行ってきました。
いや~、夜の回が信じられないほど映画館のロビーは混んでいます。もちろん全員がゴジラを見に来たわけではありませんが、相当数いますね。もうちょっと日数が経過してから見に来ればもっと空いていたのかも知れませんが、それにしても予想を超える混雑ぶりです。もちろんわたしは事前に席とチケットの予約を済ませていますから混んでいようと関係なし。それに、やはりといいますか、皆さん後ろにばかり行きたがりますので、わたしの座る前方(とうとう三部作全部同じ席で鑑賞するという快挙を成し遂げました(笑))に来る人は少なく、今までと大して変わらない環境でじっくりと鑑賞することができました。
三部作の三作目と言えば、当たり前ですが完結編になります。典型的三部作の一つと言えるのが「スター・ウォーズ」。これをテンプレと考えると
第一作目~局地的だが一応の勝利 第二作目~敗北と再出発 第三作~予定調和、あるいは大勝利でのハッピーエンド
となります。なのでわたしが当初「星を喰う者」のストーリーとして予想していたのは
"人類を一度外宇宙へ出し、ウラシマ効果によって地球に長い時間を経過させたのは、ギドラを探し出して地球まで誘導するためと、人類を疲弊させることで異星人エクシスを信頼させ、判断力を奪って生贄とするため。時間をかけてゴジラを最強の状態まで育て上げ、地球人を踏み台にすることでエクシスはかつて先祖を壊滅させたギドラの打倒をゴジラに行わせる計画だった。ついに地球までやってきたギドラはエクシス接触以前にも増した力を持ち、その猛威にさしものゴジラも劣勢。地球人一行は最後の望みをフツアの神の復活に託す。フツアの神の力でゴジラは力を増強、ギドラを倒すが、同時にすべての力を使い果たし、地球に根を張る休眠状態に入る。果たして次の復活は数年後か、それとも数万年後が・・・。人類はその限られた時間の間、地球上に再び居住することを望んだ。"
こんな感じでございました。第一作がファイナルウォーズ、第二作が東京SOSベースだとしたら第三作は怪獣大戦争かVSキングギドラベースという予想だったわけです。結果は・・・それなりに掠ってはいましたが、よく言って当たらずとも遠からず、くらいなものでした。今までは制作側の考えたSF設定にゴジラという存在を放り込んだ、な内容でしたが、今回は終始ファンタジー、精神的な独自の宗教概念のセリフが飛び交う話で、ある意味ハルオやゴジラの活躍は少なめという印象でした。一応科学的解釈で神の存在を肯定するという考え方(主に逆説を利用するようですが)はありますし、怪獣を生物ではなく土地神として解釈する話も過去に少なからずあります。ましてゴジラはその名を示す英単語は発音が狂うことを覚悟のうえで頭に"GOD"の三文字を入れたものですから、宗教的概念がSFや怪獣の描き方と矛盾するということはないです。ですが、その概念に基づく説明セリフが非常に多く、その反面ストーリーはあまり展開しませんし、ゴジラとギドラの戦いも動きの少ないもので、いわゆる怪獣バトルの醍醐味はあまりありませんでした。何よりギドラという存在を別宇宙からの干渉、というこの宇宙の物理法則も時間の概念もすべて捻じ曲げてしまう(あるいはそれすら喰らいつくす)存在として描いたためにゴジラはギドラに触っても触れることができず、ギドラはゴジラに一方的にかみついて攻撃できるという、ちょっと面白みに欠ける描き方(その割に、ゴジラの熱線だけはあえて捻じ曲げてまで接触を嫌がっていたような。当たれば通用したのかも)。セリフだけとはいえ、せっかく決戦地が聖地・富士山麓だというのにそれを活かすことはなかったのです。期待していたフツアの神も声とシルエットが特に意味なく、ファンへのサービス的に出てくるのみでちょっとガッカリ。決着も、一応ギドラは倒したものの、おそらくは現宇宙の物理法則に縛られた本体の一部とそのゲートをつぶしたのみで、完全に滅ぼしたとは言えないものでした。ただ、わたしがあの作中のギドラを推測する限り、現宇宙の"存続"と"成長"を善とする概念とは異なる別宇宙の"一つに戻ろうとする"概念そのもの、宇宙の一部が次元を超えて干渉してきた存在と言え、いくらゴジラでもそれを完全に滅ぼすことは出来ない存在だったように思うのです。何と断言できる知識はありませんが、本作は過去二作とは違い、モチーフを過去のゴジラ作品以外のところから持ってきたようです。
最後、ギドラという絶対的神の布教にあらがった人類は、土地神を信じるフツアの民につながる道を選びました。見方によってはこれは宗教戦争でした。そんな中、ただ一人そのどちらでもない神、ゴジラにその身をゆだねたのが主人公のハルオの描き方だったように思います。憎悪という名の敬愛を持って。最後の特攻は旧文明の痕跡をすべて消すため、ともとれる描き方ではありましたが、ハルオの信仰相手は結局ゴジラであったということだったように思えてしまいます。何回か見直せばまた別の考えも出てくるのかも知れませんが、現状ではこんなところです。
これでしばらくわたし向きの映画はないなぁ。次は半年後くらいかな? フフフ。