親族が亡くなると、一年間は喪に服す、喪中と呼ばれる時期になります。本来ならば故人を思って静かにすごし、他者の招きへの応じや神社へのお参りなども控えるべきなのでしょうが、実際にはそこまで気を回さず、せいぜい「年賀欠礼」の通知を出して年賀状を出さない、年始回りなどはしない程度に終わる場合が多い気がします。もっともこちらとしては「しない」であっても他者が年始回りなどに来た場合はやはり礼儀として受けるべきですから実際はそんなに変わらなかったりしますが。で、わたしの場合もう一つ気になったのがお歳暮・お中元といった挨拶。とりあえず「喪中だししなくていいんじゃね?」とお歳暮は一応やめておきました。実際相手からもほとんど届かなかったですし。ところがそろそろ一年近くなりますとそういった喪も忘れられるのか、結構お中元が届いています。とりあえずお中元も今回はパスの予定でしたので何もしていませんでしたが、来た以上なんのお返しもしないのはまずいだろうと手配をしています、天手古舞ですが。で、そのお中元に例年と比べて若干変化が。今年届いたお中元の半分がビールなんです。もちろんビールと言えばお中元の無難な定番の一つであります。が、我が父という人があまりお酒を飲めない人であり、他人よりも限界に達する飲める量が少なく、すぐ悪酔いしてしまう人だったので、知っている人はビールなどは避けていたのです。まして晩年は医者から酒を飲まないように言われてましたからね。その一方で知る人ぞ知る食道楽だったので、珍味など各地の美味しい名産品が多く、結構楽しみでした。ところが今年からはお中元の名目上の対象がわたしになり、何を送っていいのがお中元をやり取りする知人関係には分からなくなり、無難なもの・・・。さらに今年の夏は大変暑かったんで冷やして飲めば涼が取れるビールが最適、と思われたのでしょう。ただし・・・。困ったことに、わたしも父と似たり寄ったり。あまりお酒が飲めない体質だったりします。それでも父はビール等が送られてくると「もったいない」とたまに飲んで消化してましたが、わたしは飲むと眠くなってしまうタチなのです。眠くなったら夜の楽しみであるDVDや録画番組の鑑賞に支障が出てしまうので、家では全く飲まないのです。酒類は嫌いなわけではないですが、あくまで外食時などに食事が美味しくなる程度の少量の酒を飲むのみ、なのです。本音を言えば父の時のような珍味とか美味しい名産品とかがよかったかなぁと思ってしまうのですが、それはここだけの話としておきましょう。
父が亡くなって、今日で丸一年になりました。この一年、一日一日を非常に長く感じています。まるで学生のころに戻ったようです。そのためかやっと一年経ったか、の印象しかなく、人に「もう一年ですか、早いですねぇ」と言われても生返事しかできません。特に商売の面ではまだまだつらい厳しい事の方が多いですが、慣れていくか改善していくしかないですからね。
で、おそらく最後になると思いますので父の思い出話なんぞを。なんらかの形で世間の目に触れさせてあげたかったもので。まぁ読み飛ばしてくださって結構です。
先も書きましたが、父はかなりの食道楽であります。家ではなんでもかんでも電子レンジに放り込むような困った食べ方しかしなかった人ですが、一歩外へ出て外食となると途端に評価が変わります。まるで生きたグルメマンガの登場人物のようでした。父の父という人が新しもの好きな人で、新しい料亭やレストランができるたびに父を連れてとりあえず食べにいっていたせいもあり、外食を当たり前と思うようになり、他にお金のかかる趣味がないこともあって結構いろんな店に出入りしていたようです。なかには「k父さんにはまだ給仕をやっているころから目をかけていただいていて」なんて言ってくれるベテランのコックもいたりします。この一年はそういう人に訃報を届けなきゃならないのがちょっとつらかったですね。必ず「珍しいですね、k父さんは別行動ですか」って聞かれたものですから。ただ、言っておいたほうがいいだろうなぁ、とは思ったので父が愛した店に顔を出し続けました。
父が覚えられていたのは食べっぷりがいいお客だったこともありますが、その一方で味が落ちた場合、決して「ご馳走様」と言わない、静かな指摘が恐れられていたというのもあるのです。その味覚はかなり正確でした。わたしは同席しなかったのですが、一度とあるレストランが「松坂牛フェア」を行っていたので食べに行ったところ、ずばりその使われている牛が松坂牛でないことを見抜いてしまったことがあるのです。向こうもその指摘を否定することなくあっさり認めましたが、あくまで「注文を間違えた」と言っていたそうです。ちなみにその代用牛も十分おいしい黒毛和牛だったそうですが。なお、支払いはちゃんと向こうの言い値でしっかり払ってきたようです。
とはいえ父に言わせれば「松坂牛は美味いが、おそらくたまにフェアをやる程度のレストランくらいじゃ同じ松坂牛でも下級のものしか手に入らないだろう。本当にいい牛はおひざ元の名店か、東京や京都の金に糸目をつけない高級店に優先的に回されてしまうんじゃないだろうか。そんな店じゃ観光客がホイホイ行ったところで門前払いだろうから我々が口にするのはよほどのことがないと無理。それなら地元の牛のいいところを卸してもらっている店の方が結局安くておいしい肉が食べられる」そうです。ちなみに二十年ほど前に、お坊さんについて行って接待で京都の「一人前七万円から」という超高級ステーキ店に行ったことがあるとか。もちろん完全予約制で紹介なしの一見様お断り、だそうです。
そんな食道楽な父でしたが、晩年は薬の影響で味覚も衰えたのか、甘いものの味しか分からなくなっていたみたいです。蕎麦屋なら近所に何軒もおいしい店があるのに、わざわざ遠出して甘い味付けのにしんそばのある店にばかり行きたがったりしてましたし。亡くなったあと、遺品整理のために部屋を片付けていたら、何本もの甘いドリンクやその空き瓶、賞味期限切れなのに封も切ってない飴の袋がいくつも出てきました、散歩と称して出かけていった際に買ってきて隠していたようです。ドリンクや飴くらい隠さずに堂々と食してもよさそうなものですが、少し精神的に幼児化していて、そうした「甘いものを隠れて食べる、飲む」こと自体を楽しんでいたのかも知れません。
あれから一年がたち、最近は夢に父が出てくることもなくなりました。間もないころはわたしの夢の中で子供に戻って好き勝手に暴れていたものでしたが、さすがに現世に飽きたのでしょうか。そろそろ父のことを書いたりするのは最後にして、明日からまたやり直していきたいと思います。
父が亡くなって、今日で丸一年になりました。この一年、一日一日を非常に長く感じています。まるで学生のころに戻ったようです。そのためかやっと一年経ったか、の印象しかなく、人に「もう一年ですか、早いですねぇ」と言われても生返事しかできません。特に商売の面ではまだまだつらい厳しい事の方が多いですが、慣れていくか改善していくしかないですからね。
で、おそらく最後になると思いますので父の思い出話なんぞを。なんらかの形で世間の目に触れさせてあげたかったもので。まぁ読み飛ばしてくださって結構です。
先も書きましたが、父はかなりの食道楽であります。家ではなんでもかんでも電子レンジに放り込むような困った食べ方しかしなかった人ですが、一歩外へ出て外食となると途端に評価が変わります。まるで生きたグルメマンガの登場人物のようでした。父の父という人が新しもの好きな人で、新しい料亭やレストランができるたびに父を連れてとりあえず食べにいっていたせいもあり、外食を当たり前と思うようになり、他にお金のかかる趣味がないこともあって結構いろんな店に出入りしていたようです。なかには「k父さんにはまだ給仕をやっているころから目をかけていただいていて」なんて言ってくれるベテランのコックもいたりします。この一年はそういう人に訃報を届けなきゃならないのがちょっとつらかったですね。必ず「珍しいですね、k父さんは別行動ですか」って聞かれたものですから。ただ、言っておいたほうがいいだろうなぁ、とは思ったので父が愛した店に顔を出し続けました。
父が覚えられていたのは食べっぷりがいいお客だったこともありますが、その一方で味が落ちた場合、決して「ご馳走様」と言わない、静かな指摘が恐れられていたというのもあるのです。その味覚はかなり正確でした。わたしは同席しなかったのですが、一度とあるレストランが「松坂牛フェア」を行っていたので食べに行ったところ、ずばりその使われている牛が松坂牛でないことを見抜いてしまったことがあるのです。向こうもその指摘を否定することなくあっさり認めましたが、あくまで「注文を間違えた」と言っていたそうです。ちなみにその代用牛も十分おいしい黒毛和牛だったそうですが。なお、支払いはちゃんと向こうの言い値でしっかり払ってきたようです。
とはいえ父に言わせれば「松坂牛は美味いが、おそらくたまにフェアをやる程度のレストランくらいじゃ同じ松坂牛でも下級のものしか手に入らないだろう。本当にいい牛はおひざ元の名店か、東京や京都の金に糸目をつけない高級店に優先的に回されてしまうんじゃないだろうか。そんな店じゃ観光客がホイホイ行ったところで門前払いだろうから我々が口にするのはよほどのことがないと無理。それなら地元の牛のいいところを卸してもらっている店の方が結局安くておいしい肉が食べられる」そうです。ちなみに二十年ほど前に、お坊さんについて行って接待で京都の「一人前七万円から」という超高級ステーキ店に行ったことがあるとか。もちろん完全予約制で紹介なしの一見様お断り、だそうです。
そんな食道楽な父でしたが、晩年は薬の影響で味覚も衰えたのか、甘いものの味しか分からなくなっていたみたいです。蕎麦屋なら近所に何軒もおいしい店があるのに、わざわざ遠出して甘い味付けのにしんそばのある店にばかり行きたがったりしてましたし。亡くなったあと、遺品整理のために部屋を片付けていたら、何本もの甘いドリンクやその空き瓶、賞味期限切れなのに封も切ってない飴の袋がいくつも出てきました、散歩と称して出かけていった際に買ってきて隠していたようです。ドリンクや飴くらい隠さずに堂々と食してもよさそうなものですが、少し精神的に幼児化していて、そうした「甘いものを隠れて食べる、飲む」こと自体を楽しんでいたのかも知れません。
あれから一年がたち、最近は夢に父が出てくることもなくなりました。間もないころはわたしの夢の中で子供に戻って好き勝手に暴れていたものでしたが、さすがに現世に飽きたのでしょうか。そろそろ父のことを書いたりするのは最後にして、明日からまたやり直していきたいと思います。