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ゴジラは誰のもの?問題浮上

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BLOGOSサイトを開けてビックリした。いきなりゴジラの映像写真が掲載され、「ゴジラは誰のものか?」とデカデカと書かれているではないか。

記事はBLOGOS編集部によると、本多猪四郎監督の遺族と、東宝側が「ゴジラ」の著作権に関してもめている、というものである。

「ゴジラは誰の物か」泥沼裁判に 本多監督の遺族、東宝を訴える

一部テレビ番組などで「日本では監督に著作権は無いことになっている」と発言した映画監督がいたが、少なくとも東宝は「ゴジラ」という作品および本多監督が監督を行った作品に関しては著作権を認め、DVD化などに関しては料金を払っているとしている。最高裁の判定でも黒澤監督作品においては「映画は監督の著作物」としているため、本多監督作品においても同様に解釈するだろう。だが、それは「ゴジラ」という1954年度の作品および同様に本多監督が監督をした個々の作品においてであり、ゴジラというキャラクターは東宝の管理下にあるというのが東宝側のこれまでの考え方だったろうし、わたしもそう考えていた。今回本多監督の遺族の会社である本多フィルムは、「著作者の許可無くゴジラの使用許諾を与えるのは、著作権保護法違反だ」とし、裁判に出てきたと言うのだ。

どうもこの遺族の主張にはピンと来ない。「ゴジラ」というキャラクターの利用権は自分らにもある、という裁判に出てくるのなら分かるが、記事内には「「ゴジラのキャラクター権」そのものは争われていない」とあり、そっちで怒っているわけではないと来ている。過去の映画の流れから言って、シリーズ化された作品全てにおいて、かかわっていない作品においても「著作権はこちらにある」とするのはかなり乱暴な意見としか思えない。
ただ、昔はそこらへんはいい加減で、ゴジラのシリーズ化においても特に本多監督に気遣ってやったとは思えない(と、言っても初期のほとんどの作品は本多監督が監督をなさっているので間違いなく著作権は所有しているが)。過去がいい加減だったからと言ってその慣習が現在も通用すると思うのは管理会社側の横暴である、とも思う。だから、ゴジラの肖像権や利用権を主張して、「無許可で遣った」という点を争うのなら分かるのだが、映画「ゴジラ」単体の著作権をもって現在のキャラクタービジネスの全てにおいての権利に口出しさせろ、というのもどうかと。どうも分かるようで分からない。「パチンコのキャラクター利用権の権利の分配金を受け取る権利を、著作権を持って要求する」のかと思ったのだが、ひょっとしたら「パチンコのキャラクターに使ったのが気に入らない。パチンコなら許可しなかった」から怒っているのかも知れない。著作権保護法に関しては、映像作品そのものの部分しか見てこなかったのでそれほど詳しくは無いが、この点特撮マニアとしても著作権に関して口を挟みたがる野次馬としても、その行く末を見守るのはもう少し勉強する必要がありそうだ。現在のわたしの意見としては「遺族の言い分も分かるが、その訴え方では主張は通らないのではないか」と言うことで今のところまとめておこう。

ただ、裁判で遺族側の主張が全部でなくとも一部通るとなると高確率で問題となる作品が二本存在する。BLOGOSも知ってか知らずか、トップページや記事内に貼った写真の映画、「ゴジラ×メカゴジラ」と、その二作前の「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」の二本だ。いずれも、「ゴジラ」第一作に対するオマージュとして、そっくりに撮りなおした場面が存在する。特に「ゴジラ×メカゴジラ」では、映画「ゴジラ」ではゴジラは溶けて骨になりその骨も消えていくカットを、溶けたのは肉体だけで骨は残ったと、第1作ゴジラそっくりのぬいぐるみまで作って結末を改変している。訴えでは映像作品の著作権ではなく、第1作のぬいぐるみの著作権まで主張している。それが通るのなら、「ゴジラ×メカゴジラ」はおそらくアウト、違反作品として抹消すらありうる。そこまで絶対の著作権は遺族には認められないが、利用料は払って和解というところが落としどころになると、マニアとしては願いたいものである。

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