すでに先週の土曜日から始まっている新番組、"SSSS.GRIDMAN"をようやく見られました。やはりこの一週間ばかりPCに負担をかけ過ぎたのか、GRIDMANを録画予約しておいたPCのOSが当日おかしくなって起動しなくなっていたんです。しかも出かけていたのでその異常に気が付かず、本放送を録画するのに失敗してしまいました。幸いGRIDMANの放送局にはWOWOWが入っているのでリピート放送が行われ、そちらを無事録画視聴することができたのですが。まぁもともとWOWOW版を録画視聴保存するつもりだったのでそれでいいんですけどね。画質面もやや有利だしCMのカットもしなくていいし。
番組前の情報はトレーラーなどで最低限のチェックは行っていたのですが、グリッドマン本人はともかく、一般登場人物のやたら可愛げな今風のキャラデザインはあまり気に入らず、少々不安に思っていました。とはいえ、かつての特撮ドラマ"電光超人グリッドマン"ではほとんど描かれなかった学校生活(推論ではありますが、同じ円谷プロの製作番組で学校生活を描くことを中途半端な形でやめてしまった"ウルトラマン80"の件が尾を引いているのではないでしょうか)が描写されるのが確実な辺りから、まぁ特撮ドラマとは全く異なる演出が描かれるのだろうな、という覚悟はしていました。個人的注目点は二つ、
・以前のグリッドマンと連続した世界観をもっているのか
・主人公が高校生になってしまっているが、大丈夫なのか
であります。前者はただ気になっているだけで、別に踏襲する必要はないと思っています。スペシャルドッグの登場やかつてのジャンクの端末部分に似た古いパソコンと旧作との連動制ありか? と思えなくもないですが、あくまで特撮ファンへのサービスという感もありますので断言はできません。おそらく別世界になるのではないかと思います。
問題なのは主人公たちの高校生設定。かつてのグリッドマンでの主人公たちは中学生でした。穿った見方という自覚はありますが、以前書いたようにわたしはグリッドマンを「己の弱さを補うため、子供の正義感に付け込んで金と命をかけさせたダークなヒーロー」という印象を持っています。中学生という主人公設定はそのギリギリ、感性で動く子供の面を残しながら趣味の範囲が広がり、ジャンクパーツを駆使してコンピュータの一台もくみ上げてもおかしくない年齢、という点で中学生というのはその最大公約数の絶妙な年齢でした。それが高校生になるとそのバランスが崩れてしまい、ある程度世間ずれしていて単純な正義感だけで金や命を懸けるというのは考えづらい、むしろ打算で動くほうが自然とさえ思います。そこをどうするのか・・・。と思っていたら、主人公は記憶喪失でグリッドマンと契約したことを忘れ、半ば強引にグリッドマンと合体させられ、その友人たちは勢いでとにかく彼をサポート・・・という形式をとっていました。記憶喪失という設定はやや安易とは思いますが、そこらへんの問題と作品への興味を持たせるという一石二鳥の価値を持たせる効果があるという点で最善だったかもしれません。
気になったのは怪獣登場以降の描写。そこまでは静止画を多用し、あえて画面を動かさず、BGMも控えて「日常性」を重視した演出に徹していたのに、怪獣が出てくると一転、典型的な特撮の演出を意識してやっている分、前半との剥離を感じます。「日常が突如非日常に変化した」と言いたかったのでしょうが、第一話くらい人の視点に徹した「「日常の中に現れた非日常」であるべきだったと思うのです。ちょっと鼻についたのが、いかにも人が入っている動きを意識して描写された怪獣の歩行シーン。あれは逆効果。ああした「いかにも中に人間が入っている」動きをどうやって目だなくし、怪獣の中に人以外の骨を持たせるか、絶えず工夫し続けられて作られているのが怪獣映画なのに、わざわざ人っぽさを出しているのはその先人の工夫をなんとなくあざ笑っているように感じます。日本アニメ(ター)見本市のときのペラペラダイナドラゴンを再現した悪乗りに近いものを感じてしまいました。人の動きを出すこと自体は反対しませんが、そこをごまかす工夫も再現して欲しかったものです。
と、どうしても不満が先に出てしまい、これからの展開に不安を感じているGRIDMANですが、監督はけっして特撮ファンが見たいものを理解できない人ではないはず。これからの展開に期待します。
番組前の情報はトレーラーなどで最低限のチェックは行っていたのですが、グリッドマン本人はともかく、一般登場人物のやたら可愛げな今風のキャラデザインはあまり気に入らず、少々不安に思っていました。とはいえ、かつての特撮ドラマ"電光超人グリッドマン"ではほとんど描かれなかった学校生活(推論ではありますが、同じ円谷プロの製作番組で学校生活を描くことを中途半端な形でやめてしまった"ウルトラマン80"の件が尾を引いているのではないでしょうか)が描写されるのが確実な辺りから、まぁ特撮ドラマとは全く異なる演出が描かれるのだろうな、という覚悟はしていました。個人的注目点は二つ、
・以前のグリッドマンと連続した世界観をもっているのか
・主人公が高校生になってしまっているが、大丈夫なのか
であります。前者はただ気になっているだけで、別に踏襲する必要はないと思っています。スペシャルドッグの登場やかつてのジャンクの端末部分に似た古いパソコンと旧作との連動制ありか? と思えなくもないですが、あくまで特撮ファンへのサービスという感もありますので断言はできません。おそらく別世界になるのではないかと思います。
問題なのは主人公たちの高校生設定。かつてのグリッドマンでの主人公たちは中学生でした。穿った見方という自覚はありますが、以前書いたようにわたしはグリッドマンを「己の弱さを補うため、子供の正義感に付け込んで金と命をかけさせたダークなヒーロー」という印象を持っています。中学生という主人公設定はそのギリギリ、感性で動く子供の面を残しながら趣味の範囲が広がり、ジャンクパーツを駆使してコンピュータの一台もくみ上げてもおかしくない年齢、という点で中学生というのはその最大公約数の絶妙な年齢でした。それが高校生になるとそのバランスが崩れてしまい、ある程度世間ずれしていて単純な正義感だけで金や命を懸けるというのは考えづらい、むしろ打算で動くほうが自然とさえ思います。そこをどうするのか・・・。と思っていたら、主人公は記憶喪失でグリッドマンと契約したことを忘れ、半ば強引にグリッドマンと合体させられ、その友人たちは勢いでとにかく彼をサポート・・・という形式をとっていました。記憶喪失という設定はやや安易とは思いますが、そこらへんの問題と作品への興味を持たせるという一石二鳥の価値を持たせる効果があるという点で最善だったかもしれません。
気になったのは怪獣登場以降の描写。そこまでは静止画を多用し、あえて画面を動かさず、BGMも控えて「日常性」を重視した演出に徹していたのに、怪獣が出てくると一転、典型的な特撮の演出を意識してやっている分、前半との剥離を感じます。「日常が突如非日常に変化した」と言いたかったのでしょうが、第一話くらい人の視点に徹した「「日常の中に現れた非日常」であるべきだったと思うのです。ちょっと鼻についたのが、いかにも人が入っている動きを意識して描写された怪獣の歩行シーン。あれは逆効果。ああした「いかにも中に人間が入っている」動きをどうやって目だなくし、怪獣の中に人以外の骨を持たせるか、絶えず工夫し続けられて作られているのが怪獣映画なのに、わざわざ人っぽさを出しているのはその先人の工夫をなんとなくあざ笑っているように感じます。日本アニメ(ター)見本市のときのペラペラダイナドラゴンを再現した悪乗りに近いものを感じてしまいました。人の動きを出すこと自体は反対しませんが、そこをごまかす工夫も再現して欲しかったものです。
と、どうしても不満が先に出てしまい、これからの展開に不安を感じているGRIDMANですが、監督はけっして特撮ファンが見たいものを理解できない人ではないはず。これからの展開に期待します。