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Channel: 録画人間の末路 -
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父が入院しました

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タイトル通りの中身ですので、そうした話がキライな方はご遠慮ください。ただのグチです。また、汚い話も含まれています。

父の入院は正月以来となります。ただ、もともと今月の後半、父は入院の予定でした。ただし、その理由は、以前も除去した静脈瘤の、取り残りを除去する再手術のため、というものでした。父の静脈瘤は食道内にできているもので非常に小さく、適切に処理すればそれほど問題のあるものではありません。そのため、最短で一週間ほどで退院できるとされていました。わたしら家族としても、その点の心の準備はできていましたし、母などは「命に関わらない入院なら、むしろ骨休みできそうでほっとする」とまで言っていたほどです。ですから、入院の準備はほとんど済ませていましたし、一週間くらい早くなってもなんともありません。
今回父が予定より早く入院することになったのは、体調の不良を訴えたためです。おおよそ一週間ほど前に下腹部の腹痛を訴えたため、万が一を考慮して病院の予約を入れて送りました。その病状は、便秘。ただしレントゲンで大腸が真っ黒になって見えるほどの、かなり厄介な状態になっていたものです。もともと便秘がちな人ではありましたが、闘病生活で筋力、特に腹筋が衰えたこと、昨年後半から腹水が出たため、その再発を恐れて水をあまり取らなくなっていた(何度も指摘したのですが、全く聞く耳を持ってくれませんでした)ことなど複合的な理由が重なったためでしょう。病院で治療を受けましたが一部しか便が出ず、出やすくなる薬を出してもらって引き上げてきました。
そのあとは、今度は出ずっぱりの便との闘いになりました。今までたまりにたまっていた便が薬の影響で出やすくなったため、トイレが全く間に合わず、日に数回も服や下着を汚す日々が続きます。そうした精神的苦痛と肉体的疲労で、朝は調子いいのですが昼を過ぎると父はグッタリ。「便になるから食事もとりたくない」とさえ言いだしましたが、そこは無理矢理食べさせました。水を積極的に飲むこともここぞとばかりに解きましたが、どうも無視されたような。あまりに便がひどいので、とうとう紙製の介護用下着を使わないとどうしようもない状態にまでなってしまいました。そして便秘発覚後最初の検診で、入院を言い渡されたのです。便秘や薬による下痢がひどいため、それも仕方ないだろうと考えていたのですが、どうもそれだけではなさそうです。基本的な診察をしたところ、発熱があって体内の血が少なく、かなり血圧が低くなっており、検査と治療が必要と判断されたとのことです。どちらかと言えばそちらの要因の方が大きそうです。
父の体内の血が不足気味、と診断されたのは今回が初めてではありません。昨年の秋にも同様の診断がされ、その治療として何度か輸血が行われました。しかし、そうした血液の治療が行われてからあの腹水がたまる非常事態が発生、一度は末期とまで言われましたが、輸血をやめ、腹水を抜いたところそれ以降たまらなくなり、前回は無事退院することができたのです。因果関係は分からないのですが、病院では「輸血が腹水の原因となったのかも知れない」と判断するしかなく、それ以来輸血は行われなかったのです。そうして血圧の低下と、それに伴う心臓への負担増、発熱、さらには便秘・・・こうした複合的な理由で体調が悪化したようです。
わたしとしては、この症状に関しては、「まぁなんとかしてくれるだろう」という思いはあります。なにせもっとも懸念材料である癌に関しては「全く進行していない、心配はいらない」と断されたのですから。もっとも、今回の体調不良の直接的な原因は癌ではないにせよ、体を弱らせられたのは癌が最大の理由であることは間違いなく、そうした意味では病気が進行した、とも言えるのですが。もっと心配なのが、以前認知症のような症状を発覚させてから初めての入院であるという点です。あれ以後、あの時ほどひどい状態にはなっていません。が、ダメージはあったのか、会話が非常にヘタになりました。以前なら興味のある話なら立て板に水のごとく話始めたら止まらなくなっていた父が、そうした件でも一言二言話して終わりで先が続かなくなってしまいました。他人の話もあまり聞かなくなり、自分の言いたいことばかり話します。
一番変化が見られるのは、ある期間に達すると急激に怒りっぽくなることです。全体的にもかなり怒りっぽくなりましたが、その期間に達するとその基準が非常に低くなるのです。たとえば父にとって興味ない話がわたしと母の間で三言四言続くと「そんな話どうでもいい!」と怒り出すのです。だいたい二週間割と平常な状態が続いたあと、妙に精神的に不安定な状態に入るらしいのです。

父「今日、何時からだっけ?」
k「? 何が何時から、なの?」
父「いいから!何時からだって聞いてるんだ!」
k「いや、だから何を聞きたいのかわからないって」
父「分からねぇのなら母呼んで来い!」

などなど。これはかなりマシな部類です。精神的不安定さがピークに達すると物事の判別がつかなくなり、やたら思いつきで何かさせたがる上、暴力的になります。むやみに怒ること、自分の要求が通らないと暴力に訴える(痛くはないです、ちなみに)といった行動は、半年前の父からは想像もつかないことでした。ですが、このピークは数時間しか続きません。それが終わるとさーっと平常状態に戻るのです。この状態になるのは20日弱くらいの周期で訪れるみたいです。良いときは非常に良い時もあり、朝などはまるで若返ったかのようにハキハキとした声で、しっかりした会話ができることもあるのですが、これも3時間くらいしか続きません。
わたしの計算だと、昨日今日あたりが不安定さのピークでした。見舞いから帰ってきた母の話では、看護師に「あんなに怒りっぽい人でしたっけ」と不安そうに語られたそうです。今までピークをすぎると元に戻ったのは日常にいたから、ということも考えられます。最悪今度こそ戻らなくなってしまう可能性もあります。母の話ではかなり弱弱しくみえたそうで、最初は病室に入ってきたのが母だということに気が付かなかったほどのようです。ただ、今回はそういう形でピークを迎えたのかも知れませんが。

ここ最近の父は、闘病というより急速に進む老化の様を見ているようでした。今回の入院が良い方に向かうのか悪い方に向かうのか、それは分かりません。口にはしたくありませんが、その時は近づいているのかも知れません。ただ、意外と自分が落ち着いているのを感じています。それは病気発覚以来一年という時間がそうさせたのかも知れません。

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