それはある日突然始まりました。
父が、普段なら3~4千円がいいところの品物に「5万円」と言い出したのです。お客さん当人ですら笑って「いくらなんでもそんなに高いわけがないよ」と言うものですが、父は引っ込みません。わたしが平謝りして適正に近い価格にしておきました。「しっかりしてよ」ちょっとたしなめてしばらく、突然思い出したように「あれはいいものだ。東京へ出品すればもっと高い値段になる!」といきなり怒り出し、そのあとも何回もグチグチと同じことを繰り返してなかなか怒りを収めてくれませんでした。
その時一回かと思いましたら、そのあとも1000円もするかどうかの物を「5万円」といい、1万円と記載する部分に10万円と書き、おまけだと普段1000円もらっている利益分を100円にしようとし、たしなめると「じゃあ10円だ!」と真っ赤な顔をして怒り出す始末。その日を境にウチの会計はグチャグチャ。簡単な計算を1時間以上もかけ、なだめ説得してやっと計算させたのを、全部間違っていないかどうかわたしが一からやり直す必要があるようになってしまいました。数も全然覚えてくれません。
当然この突如発生した父の異常状態に「認知症」の3文字が浮かびました。とにかく計算の掛け算はできるのに足し算引き算を常に逆にし、桁を一つ多く解釈するのです。ただし、それ以外は比較的以前と同じで、わたしのやり忘れを指摘したりするなど数以外の記憶はそこそこしっかりしています。ただ、目の前の仕事しか見えず、他の事に手つかずになることもありますが。
ちょっと調べたところ、認知症の種類によっては計算能力の低下、というものもやはりあるみたいです。それにしても突然すぎます。それまでは、加齢による能力低下、例えば暗算に自信がなくなるとか、その程度です。いくらなんでも急になるものなのでしょうか。それよりも、認知症だとするとこれ以上悪化させないように、悪化を緩やかにするのが精いっぱいで、回復の見込みはない、というのがわたしの中のイメージにはあります。父がガン宣告を受けてから間もなく一年になろうとしています。父は、医学的に見れば「大変元気」と言われる状態ではありますが、一般的にみればやはりこの一年で別人のように弱弱しくなりました。三回の入院は、どうしても体力を奪ってしまいます。これ以上入院は、できればさせたくないものです。それでも、最短余命半年と言われ、あるいは覚悟を決めろ、と宣言されながらも特に苦しむことなく家で平気で生活できているのは、父の生に対する執着心が大きいと思います。楽しいことをしたい、美味しいものを食べたい、遺して逝けない・・・。認知症で、かつそれが進行すればそうした執着心もなくなっていくでしょう。それは、少なからず寿命を縮める結果を招きます。
それ以降の父は常に二呼吸遅れて動き、何をするにも意欲がなくなり、昼間もクークーと寝息を立てて寝てばかりいるようになりました。体が疲れるのかと思いましたが、記憶や計算・思考といった頭を使うことが疲れるので寝てばかりいるのかもしれません。今月の初め頃書いた、何かの間違いで当選した競馬の当選金(盛って書いてあります、念のため)、この文字通りのあぶく銭は、父と母の二人で、ちょっと贅沢な温泉旅行一泊二日で消費させることになりました。決まって少しの間は「楽しみだなぁ」と喜んでいた父が、この直前になると「ああ、泊りがけに行くのか・・・」とボソッとつぶやくばかりで、ちっとも嬉しそうじゃありません。すっかり気力さえ失いつつあるようです。
一方、わたしもこの件でかなり参りました。間違いを強く指摘すると時間差で怒り出す、という現象を目の当たりにしてから、父に対して本音で話すのをやめ、無理に明るくふるまうようにしました。本来もっとも遠慮する必要のない間柄である父に演技で接しなければならない、という現実がプレッシゃーとなったか、あるいはもっと単純な父への心配か、わたし自身のこの先への不安からか、ほぼ常時吐き気のようなモヤモヤしたものを腹の中に感じるようになり、それが限界に達するたび、人気のないところを引っ込んで口の奥に指を突っ込み、強引に吐き出しています。嘔吐するわけではなく、あくまで"気"と言いますか空気を吐き出しているだけですが、それが一日10回以上も簡単に限界に達するのです。実のところ、父を一泊旅行にやって一番助かったのは、少なくとも一日父を心配せずに済むわたしなんでしょう。
そうした父も母もいない夜、友人Hから電話がかかってきました。Hはトラックの運転手で、高速道路など運転が退屈な道路に入ってくると、眠気覚ましにわたしに手持ちのハンズフリーシステムを使って長電話をかけてくることがあるのです。たまに困った思いもしますが、今回はありがたかったです。Hはすでに両親をガンで亡くし、現在もやはりガン治療を続けている親類を近所に持っているため、この件においても理解のある、わたしの愚痴を聞いてくれる唯一の人物であるからです。そこで今回の認知症の疑いを話したところ、
「自分の経験だと認知症ってもっとゆっくり進むもので、大した前兆もなしに急に数字に対する認識がおかしくなるなんて唐突過ぎる。詳しいわけじゃないけど、抗がん剤の副作用の一種なんじゃないの?」
目から鱗でした。父はほとんど抗がん剤の副作用は出ていない、出ても抗がん剤の副作用というのは体調不良を引き起こすものである、という認識しかありませんでした。
電話が終わったあと、ネットで調べました。すると、最近ではありますが抗がん剤によって思考能力が低下し、認知症のような状態になることがある、ということが証明されている、とあるではありませんか。認知症と違うのは、もとに戻る、回復の見込みがある、ということ。少なくとも抗がん剤投与をしなければ回復の可能性はあるわけです。もちろん安易にその道を選ばせることはできませんが、原因さえ分かっていれば対処は可能、父がもとに戻る可能性はまだ残っている、これがすさまじくわたしの体を楽にしました。父の旅行は土日だったのでもう2日経ちますが、吐き気は一日一度くらい、それも軽いものしか起こっていません。友人Hの判断はわたしの愚痴から素人考えを起こしたにすぎず、ただの気休めでしかなかったかもしれません。でも、本当に悪くなっていない可能性はある、そのキッカケを作ってくれただけで、かなり救われた気がします。
父は、温泉がいい休養になったのか、少なくとも意欲を取り戻し、精力的に動いています。相変わらず計算はメチャクチャ、そのくせ自分の間違いを認めたからず、桁を間違えていることを納得させるのに四苦八苦しますが、前のようにその様子に吐き気を覚えることはなくなりました。正直全部わたし一人でやったほうが早いのですが、父が仕事を生きがいと感じていますし、計算能力が回復した後のことを考えると、やはり父にもやらせた方が言いと思っています。また、抗がん剤の副作用とは言わないにしても、母に頼んで次の父の通院に同行し、主治医の先生に計算能力の低下の件を相談してもらうことにしています。前回の入院後、腹水が出たのはガン治療の副作用ではないか、と主治医の先生も疑ったらしく、どうやら抗がん剤の投薬の仕方を変えたらしいのです。ひょっとしたら種類も変えたのかもしれません。そこを考慮に入れてこれからの治療を考えてくれたら、父は回復するかもしれません。今のわたしがすがれるのはそうした細やかな希望の糸でしかありませんが、まだ頑張れる気がします。
父が、普段なら3~4千円がいいところの品物に「5万円」と言い出したのです。お客さん当人ですら笑って「いくらなんでもそんなに高いわけがないよ」と言うものですが、父は引っ込みません。わたしが平謝りして適正に近い価格にしておきました。「しっかりしてよ」ちょっとたしなめてしばらく、突然思い出したように「あれはいいものだ。東京へ出品すればもっと高い値段になる!」といきなり怒り出し、そのあとも何回もグチグチと同じことを繰り返してなかなか怒りを収めてくれませんでした。
その時一回かと思いましたら、そのあとも1000円もするかどうかの物を「5万円」といい、1万円と記載する部分に10万円と書き、おまけだと普段1000円もらっている利益分を100円にしようとし、たしなめると「じゃあ10円だ!」と真っ赤な顔をして怒り出す始末。その日を境にウチの会計はグチャグチャ。簡単な計算を1時間以上もかけ、なだめ説得してやっと計算させたのを、全部間違っていないかどうかわたしが一からやり直す必要があるようになってしまいました。数も全然覚えてくれません。
当然この突如発生した父の異常状態に「認知症」の3文字が浮かびました。とにかく計算の掛け算はできるのに足し算引き算を常に逆にし、桁を一つ多く解釈するのです。ただし、それ以外は比較的以前と同じで、わたしのやり忘れを指摘したりするなど数以外の記憶はそこそこしっかりしています。ただ、目の前の仕事しか見えず、他の事に手つかずになることもありますが。
ちょっと調べたところ、認知症の種類によっては計算能力の低下、というものもやはりあるみたいです。それにしても突然すぎます。それまでは、加齢による能力低下、例えば暗算に自信がなくなるとか、その程度です。いくらなんでも急になるものなのでしょうか。それよりも、認知症だとするとこれ以上悪化させないように、悪化を緩やかにするのが精いっぱいで、回復の見込みはない、というのがわたしの中のイメージにはあります。父がガン宣告を受けてから間もなく一年になろうとしています。父は、医学的に見れば「大変元気」と言われる状態ではありますが、一般的にみればやはりこの一年で別人のように弱弱しくなりました。三回の入院は、どうしても体力を奪ってしまいます。これ以上入院は、できればさせたくないものです。それでも、最短余命半年と言われ、あるいは覚悟を決めろ、と宣言されながらも特に苦しむことなく家で平気で生活できているのは、父の生に対する執着心が大きいと思います。楽しいことをしたい、美味しいものを食べたい、遺して逝けない・・・。認知症で、かつそれが進行すればそうした執着心もなくなっていくでしょう。それは、少なからず寿命を縮める結果を招きます。
それ以降の父は常に二呼吸遅れて動き、何をするにも意欲がなくなり、昼間もクークーと寝息を立てて寝てばかりいるようになりました。体が疲れるのかと思いましたが、記憶や計算・思考といった頭を使うことが疲れるので寝てばかりいるのかもしれません。今月の初め頃書いた、何かの間違いで当選した競馬の当選金(盛って書いてあります、念のため)、この文字通りのあぶく銭は、父と母の二人で、ちょっと贅沢な温泉旅行一泊二日で消費させることになりました。決まって少しの間は「楽しみだなぁ」と喜んでいた父が、この直前になると「ああ、泊りがけに行くのか・・・」とボソッとつぶやくばかりで、ちっとも嬉しそうじゃありません。すっかり気力さえ失いつつあるようです。
一方、わたしもこの件でかなり参りました。間違いを強く指摘すると時間差で怒り出す、という現象を目の当たりにしてから、父に対して本音で話すのをやめ、無理に明るくふるまうようにしました。本来もっとも遠慮する必要のない間柄である父に演技で接しなければならない、という現実がプレッシゃーとなったか、あるいはもっと単純な父への心配か、わたし自身のこの先への不安からか、ほぼ常時吐き気のようなモヤモヤしたものを腹の中に感じるようになり、それが限界に達するたび、人気のないところを引っ込んで口の奥に指を突っ込み、強引に吐き出しています。嘔吐するわけではなく、あくまで"気"と言いますか空気を吐き出しているだけですが、それが一日10回以上も簡単に限界に達するのです。実のところ、父を一泊旅行にやって一番助かったのは、少なくとも一日父を心配せずに済むわたしなんでしょう。
そうした父も母もいない夜、友人Hから電話がかかってきました。Hはトラックの運転手で、高速道路など運転が退屈な道路に入ってくると、眠気覚ましにわたしに手持ちのハンズフリーシステムを使って長電話をかけてくることがあるのです。たまに困った思いもしますが、今回はありがたかったです。Hはすでに両親をガンで亡くし、現在もやはりガン治療を続けている親類を近所に持っているため、この件においても理解のある、わたしの愚痴を聞いてくれる唯一の人物であるからです。そこで今回の認知症の疑いを話したところ、
「自分の経験だと認知症ってもっとゆっくり進むもので、大した前兆もなしに急に数字に対する認識がおかしくなるなんて唐突過ぎる。詳しいわけじゃないけど、抗がん剤の副作用の一種なんじゃないの?」
目から鱗でした。父はほとんど抗がん剤の副作用は出ていない、出ても抗がん剤の副作用というのは体調不良を引き起こすものである、という認識しかありませんでした。
電話が終わったあと、ネットで調べました。すると、最近ではありますが抗がん剤によって思考能力が低下し、認知症のような状態になることがある、ということが証明されている、とあるではありませんか。認知症と違うのは、もとに戻る、回復の見込みがある、ということ。少なくとも抗がん剤投与をしなければ回復の可能性はあるわけです。もちろん安易にその道を選ばせることはできませんが、原因さえ分かっていれば対処は可能、父がもとに戻る可能性はまだ残っている、これがすさまじくわたしの体を楽にしました。父の旅行は土日だったのでもう2日経ちますが、吐き気は一日一度くらい、それも軽いものしか起こっていません。友人Hの判断はわたしの愚痴から素人考えを起こしたにすぎず、ただの気休めでしかなかったかもしれません。でも、本当に悪くなっていない可能性はある、そのキッカケを作ってくれただけで、かなり救われた気がします。
父は、温泉がいい休養になったのか、少なくとも意欲を取り戻し、精力的に動いています。相変わらず計算はメチャクチャ、そのくせ自分の間違いを認めたからず、桁を間違えていることを納得させるのに四苦八苦しますが、前のようにその様子に吐き気を覚えることはなくなりました。正直全部わたし一人でやったほうが早いのですが、父が仕事を生きがいと感じていますし、計算能力が回復した後のことを考えると、やはり父にもやらせた方が言いと思っています。また、抗がん剤の副作用とは言わないにしても、母に頼んで次の父の通院に同行し、主治医の先生に計算能力の低下の件を相談してもらうことにしています。前回の入院後、腹水が出たのはガン治療の副作用ではないか、と主治医の先生も疑ったらしく、どうやら抗がん剤の投薬の仕方を変えたらしいのです。ひょっとしたら種類も変えたのかもしれません。そこを考慮に入れてこれからの治療を考えてくれたら、父は回復するかもしれません。今のわたしがすがれるのはそうした細やかな希望の糸でしかありませんが、まだ頑張れる気がします。