東京いる間にもう一度見ておこうと「GODZILLA」に行ってきた。今度は前回と違ってみる前からニヤつきが止まらないような期待感もなく、ある意味ナチュラルな、日本の怪獣映画を見る前の精神状態からはほど遠い海外の怪獣映画のDVDなんかを取り寄せてみる前の状態。
それで見ると、あら不思議、前回見た時よりずっと怪獣が魅力的で出番も多くて面白い。だいたい日本の怪獣映画は怪獣の登場シーンが非常に多い。それでいて魅力的に映るのは「映っている画面を出す以上何かさせよう」という作り手のサービス精神あふれる作りになっているからだ。一方海外の怪獣映画は基本的にその気はなく、怪獣は街に出てきていても出番は少なく、登場人物のリアクションで時間を引っ張ることの方が多い。勝手にどんどん出てくる日本の怪獣と違い、視聴する側はほんの一瞬登場する怪獣の姿を探しては「おお、出た出た」と喜ぶ精神で見るものなのだ。レジェゴジはそういう作りはちゃんとしているから、求める基準が日本の怪獣映画でない限りは十分堪能できる。ようするにわたしの求めるものと作られたものがズレていたのだ。怪獣が出てきているのだから怪獣を映せと求めるのではなく、怪獣が出てきてもそれよりドラマを描きたいとする作り方、特撮が主なのではなくあくまで本編が主とする映画としては正しい作り方をしていただけなのだった。
そう反省してみると、最後の怪獣バトルもやたら細切れにこそされるものの、それなりに時間と場面をとって描かれてはいる。ただ対戦相手のムートー、別にゴジラを倒せそうなほど強いわけじゃないしなぁ。おまけに途中で妙に戦いから受ける印象が「ゴジラ2000ミレニアム:および翌年の「ゴジラ×メガギラスG消滅作戦」に似ている、途中から両作品のBGMが映画のサウンドを押しのけて頭から離れない。大きな雌ムートーはミレニアムの敵オルガで、羽の生えた雄ムートーはメガギラス。二怪獣にいろんな意味で似すぎだった。くしくも両作とも特撮は鈴木健二氏。同氏の特撮の特徴は怪獣にキャラクター性を持たせ、しゃべりながら動いているように演出すること。そういう流れが本作のゴジラとムートーの戦いを描くに絶好の教科書となったのかもしれない。当然だがGODZILLAがゴジラを真似しても何一つ悪いことなどないし、ヘタな海外風の演出(コマ切れにはされたが)を心がけるよりずっといい。そもそも海外映画に参考になるほどまともな怪獣バトルって「キング・コング」くらいしかないし。ムートーへのとどめは迫力こそ段違いではあってもその「ゴジラ2000」と同じ倒し方だが、明らかに「キング・コング」の影響も感じる。結局独自のゴジラ像は出し切れなかったという証拠であり、すぐ第二段が決まったのもおそらく監督ギャレス・エドワーズ本人としては、本作は人まねの延長にすぎず、今度こその思いもあるからだろう。日本式怪獣映画の演出を行う手ごたえを感じたのか? やはりもっと西洋怪獣映画の図式を貫くべきだったか? のどちらを考えているのかはわからないが、わたしとしては次はどんな心構えで見ようかと迷うような作品にならないことを祈るだけである。
ちょっと秋葉原行ってきた。土曜日も行くけど、今回は諸事情により探索内容は後日回し。
それで見ると、あら不思議、前回見た時よりずっと怪獣が魅力的で出番も多くて面白い。だいたい日本の怪獣映画は怪獣の登場シーンが非常に多い。それでいて魅力的に映るのは「映っている画面を出す以上何かさせよう」という作り手のサービス精神あふれる作りになっているからだ。一方海外の怪獣映画は基本的にその気はなく、怪獣は街に出てきていても出番は少なく、登場人物のリアクションで時間を引っ張ることの方が多い。勝手にどんどん出てくる日本の怪獣と違い、視聴する側はほんの一瞬登場する怪獣の姿を探しては「おお、出た出た」と喜ぶ精神で見るものなのだ。レジェゴジはそういう作りはちゃんとしているから、求める基準が日本の怪獣映画でない限りは十分堪能できる。ようするにわたしの求めるものと作られたものがズレていたのだ。怪獣が出てきているのだから怪獣を映せと求めるのではなく、怪獣が出てきてもそれよりドラマを描きたいとする作り方、特撮が主なのではなくあくまで本編が主とする映画としては正しい作り方をしていただけなのだった。
そう反省してみると、最後の怪獣バトルもやたら細切れにこそされるものの、それなりに時間と場面をとって描かれてはいる。ただ対戦相手のムートー、別にゴジラを倒せそうなほど強いわけじゃないしなぁ。おまけに途中で妙に戦いから受ける印象が「ゴジラ2000ミレニアム:および翌年の「ゴジラ×メガギラスG消滅作戦」に似ている、途中から両作品のBGMが映画のサウンドを押しのけて頭から離れない。大きな雌ムートーはミレニアムの敵オルガで、羽の生えた雄ムートーはメガギラス。二怪獣にいろんな意味で似すぎだった。くしくも両作とも特撮は鈴木健二氏。同氏の特撮の特徴は怪獣にキャラクター性を持たせ、しゃべりながら動いているように演出すること。そういう流れが本作のゴジラとムートーの戦いを描くに絶好の教科書となったのかもしれない。当然だがGODZILLAがゴジラを真似しても何一つ悪いことなどないし、ヘタな海外風の演出(コマ切れにはされたが)を心がけるよりずっといい。そもそも海外映画に参考になるほどまともな怪獣バトルって「キング・コング」くらいしかないし。ムートーへのとどめは迫力こそ段違いではあってもその「ゴジラ2000」と同じ倒し方だが、明らかに「キング・コング」の影響も感じる。結局独自のゴジラ像は出し切れなかったという証拠であり、すぐ第二段が決まったのもおそらく監督ギャレス・エドワーズ本人としては、本作は人まねの延長にすぎず、今度こその思いもあるからだろう。日本式怪獣映画の演出を行う手ごたえを感じたのか? やはりもっと西洋怪獣映画の図式を貫くべきだったか? のどちらを考えているのかはわからないが、わたしとしては次はどんな心構えで見ようかと迷うような作品にならないことを祈るだけである。
ちょっと秋葉原行ってきた。土曜日も行くけど、今回は諸事情により探索内容は後日回し。