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Channel: 録画人間の末路 -
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運転免許証の更新に行ってきました

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前回から5年ぶりに運転免許証の更新をしました。と、言ってもわたしは運転しないしする気もない、いわゆるペーパードライバーなんで、別に免許証いらないんですけどね。もちろん身分証明書として一番信頼されるのが運転免許証であるのも確かです。ちょっと前までは健康保険証も証明書として通用したんですが、写真がないのをいいことに他人に成りすますために利用されたこともあって、今や保険証を証明書とみなさないところも出てきています。
わたしの店でもありましたね、他人の保険証で成りすまそうとした人。名前と住所書いてもらう段階になったらメモしてあった住所と名前写そうとしたので「すみません、全部書けなくても仕方ないですから、何も見ないで書いてもらえませんか。名前とか生年月日だけでも」とお願いしたら、住所の欄が”○○市"だけ、名前の欄は苗字だけで「後はお前がそれ見て書き写せ!」と怒鳴りつけられたたことが。まぁお断りしましたけど。
話それました。そのように運転免許証が一番確実なんですが、今や住民基本台帳カード、なんてのも写真付きで交付してもらえる時代ですから、自動車の運転しないのなら運転免許証にこだわる必要はないんです。が、なんとなくもったいないのでまた更新することにしました。ちなみにわたしが運転しないのは、過去の交通事故で一生モノのケガを負って以来、怖いからです。

さて、前回は途中で古い免許証を紛失されるというトラブルに合いましたが、今回はそれはなし。こまめかつ確実に返却を繰り返されたおかげで最後の講習まで含めて全部スムーズ。一番最初に全行程を終了させることができました。もちろん全然運転しないので減点なしという経歴がそれを手伝ったのは言うまでもありません(笑)
発行された免許証を見ると、前回は空欄ながら存在した本籍項目が完全に削除されています。あってもよさそうな気がしますが、なんでなんでしょ。それより気になるのが裏面。今までは引っ越しなどした際に現住所を書くだけの項目だったのですが、今回から臓器提供の意思表示記入項目が書かれています。うーん、交通事故で死亡したときに備えて書いておけ、ということなんでしょうね。

わたしは自分の死後、体がどうなろうと別に気にしません。切り刻まれ、それを誰かが使ってもいいと思っています。ある意味もったいないですしね。ただ、それを意思表示して「臓器提供してもいいですよ」と書くとなると、別の意思がそれを納得させません。
わたしは小中学校と、大勢の他人から大笑いされながら「死んでいいよ」「死ね」「さっさと自殺でもしたら?」という言葉を、何十回何百回と言われ続けてたり落書きされて見せられたりしてきました。いじめられてましたからね。だからこそ生き続けてきましたし、今はそれほどたいそうな望みはありませんが、「死ぬことを他人から喜ばれる人間にはなりたくない、その時は我儘だけど少しは悲しまれたい」とずっと思ってきています。臓器を提供してもいいと意思表示するということは、それで喜ぶ人がいるということで、それはつまりわたしの死を喜ぶ人がいる、ということなんですよね。もちろんわたしが自分の死の目標に掲げていることと全然意味は違いますし、あちらに誰からの臓器だとかそういう情報は普通行かないということも知ってます。でも、理屈では分かって頭では理解しても、結果死を喜ばれることを気持ち悪いと思う面が同じくらい強く頭の中で反撃するように出てくるんです。
死を喜ばれるのがイヤなら拒否すればいい話ですけど、免許証に書くということはそれを他人の目に触れる機会を与えるということですから、「ああ、この人は臓器提供もしない自分勝手な人なんだな」と思われる可能性が大なわけです。先に書いたように死んだあと勝手に使われるだけならわたしは全然構わないですし、もったいないとも考えるわけで。まぁ知らなかった振りをして免許証には何も書かないのが一番でしょうね。意思表示はもっとなやんだ後で、別の形ですることにしましょう。

正直こういうことを書く欄を用意されるというのは、本籍を書かれることなんかより何倍もわたしにとってはイヤな話です。そもそも身分証明書として使われることも多い書類には個人の思想にかかわるような記入項目を設けるべきではないでしょう。他国のことは知りませんが、日本ではそうあるべきと思います。ここ最近の免許証はどんどん何か裏が感じられるイヤな方向へ向かっているように思えてなりません。

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