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Channel: 録画人間の末路 -
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ノートパソコンはそろそろ限界が見えている

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先日は他社はもちろん同社のテレビ部門新製品のすべてがかすんで見えるほどの衝撃があった東芝の40型4Kテレビ、REGZA 40J9X。その代りに登場はだいぶ先なのでその前に売り場が他の製品にとられてあまり出回らない、なんてことにならないかどうかが気がかりですが、その興奮冷めやらぬうちに、それに劣らぬほどの衝撃を持つ製品がまたしても東芝から。それも今後はノートパソコンです。

東芝、世界初の4K IGZO液晶搭載ノート「dynabook T954」

これだけの解像度をIntelのHDGraphicで支えきれるのか・・・と思っていたらRADEON装備でした。国内で発売されるPCでゲーム用を名乗らずにIntel内蔵以外のGPU・RADEONはもちろんGeForceを搭載するPCすらほとんどないのが現状ですが、さすがにこのくらいの解像度だと別GPUなしではどうしようもなかったようです。日本の大手メーカーの中では唯一スペック重視で海外などのメーカーに近い路線を走る東芝ならではの製品、とは言え15.6インチのサイズで4Kの解像度というのはもはや常識はずれです。正直最初に見て「こんなサイズで4K解像度など実現されても文字が小さすぎて使い物にならないのでは」という感想が真っ先に思いついてしまいました。当然ながら文字を数倍に拡大表示して使うことを前提としたモデルでしょう。文字を含めた拡大表示機能を強化したWindows8.1でようやく実現できたPCと言えます。

ただ、そういう使い方をするのなら4Kの解像度を実現する必要があるのか? という疑問がわいてくるわけです。いくら液晶パネルで表現できる解像度が上がり、性能が上がったとしてもそれを認識して利用するのはしょせん人間の目です。強化されないどころか年々人間全体を平均的に見て衰える一方でしょう。認知しやすい文字の大きさなんてたかが知れているわけですよ。画面が小さくても高解像度な方が写真がキレイに見える、なんて使い方を提案する人もいますが、そういうのは利用時間のうちのごく一部にすぎません。パソコンにせよ、やたら高解像度化が進むモバイル機器にせよ、利用時間の大半は写真を眺めるなんて使い方より見るのは文字を読む方が何倍も長く、また実用として利用する時間であるはずです。モバイル機器はいつの間にか「文字がキレイになる」が強い価値であるかのごとく述べられていますが、強いて言うなら文字がキレイな方が悪いよりはいいというだけで、疲れず読めればそれでいい、文字がキレイなことに特別な価値なんかわたしは感じていません。文字を使うだけなら高解像度であることより十分文字が読める程度の低解像度でサクサク動く方が価値を感じるケースの方が多いのではないでしょうか。

また今月になって「PCが売れずタブレットへの流れが止まらない」系の記事がネットの商業サイトに書かれるのが目立つようになってきました。ただ、その中身はメーカーや店の対応は国内のことなのに数字上のデータは他国のものだったり、企業が導入したがるのがWindows7なのでWindows8.1は普及が進まないという話に何の前ふりもなく変更してしまったりと出鱈目なものばかりです。一方わたしも体験したダブル駆け込み需要のおかげで店から在庫が消えるほどPCが売れまくった、という話を掲げる記事は個人のものを除いて全くみかけませんでした。どうしてもPCからタブレットに主流を移したくて仕方がない方々による恣意的な記事が飛びまくっているようです。
ただし、現状はともかくPCに先細りの危機が迫っているという点だけは同意するしかありません。ただし意味が違います。PCがスマートフォンやタブレットに対して優位な点の一つがデータや情報を作成するのが楽、というものです。ブログの記事程度でもタブレットなどでキーボードなし、マウス利用を前提としていないOSで書くのは苦痛でしかありません。わたしがこんな風にスカスカの中身でも平気で長文を書くことができるのはキーボードとマウス(わたしの愛用はトラックボールですが)を存分に利用して書くことができるPCのおかげです。タブレットはそれらを閲覧するのにはPCでなくてもできる、程度のものでしかありません。
ですが、世間的に、個人でも企業でも現在PCの普及の大半を占めているのはノートタイプです。ノートタイプは一体型で常に場所を占有するわけではないメリットがありますが、その反面サイズに限界があります。小型化の面でも大型化の面でも、です。今回東芝から出るノートパソコンのようにいくら4K解像度を実現しても、ノートパソコンの形状を保っている以上ある程度以内のサイズに収めるしかありません。高解像度をPCユーザーの使う情報量の増に使うのではなく、アンチエイリアスに使うくらいしか利用のしようがないんです。技術の進歩により高い解像度を実現できるようにはなりましたが、それらはノートパソコン上では受け身で使うしかない・・・。意味が半分ないのです。その結果、"最初から受け身でしか使われない"タブレットの方があまりそういう点に疑問を持って接する人が少なく、高解像度などを受け入れられやすい土壌になっていることは間違いないでしょう。解像度の点を見る限り、ノートパソコンという形状には限界が来ています。
いずれ時間が経ち、そういう受け身としてしか使わない解像度を自然なものと受け入れられるようにはなるでしょう。いくら情報量が多く、結果使いやすくてはるかに快適なデータ制作環境を実現できるとしても、一度その唯一の利点である形状性を重視してノートパソコンに行った人がデスクトップパソコンに来るとは思えないからです。ただ、その間に「できることが少ない」を「使いやすい」と思うような人たちは、先に上げた方々の思惑通りタブレットに転ぶかも知れません。どんなに非難されてもマイクロソフトがWindows8の路線をやめないのは当たり前のことと言えば当たり前なのです。その前に転ぶタブレットの場所にWindows機を置いておきたいと思うのはOSを主軸として経営してきた企業として当然のことです。まぁあまりWindowsがタブレットに転びすぎるとGoogleが自社のOSをキーボードとマウスにも適したものを主流にしてくるかも知れませんが、それはそれでいいかと。
一方わたしの使うようなデスクトップPCはそんな事情はどこ吹く風。解像度が上がればディスプレイを大きくすればいいし、キーボードは好きなのを使えばいい。そのそも省スペースや形状など二の次でモバイルはもちろんノーパソなんかでは代用品にすらならないからデスクトップを使っているのですからタブレットOSの行く末などどうでもいいんですね。それはそれ、これはこれなんです。今こう思っている人がモバイル一本になることはないでしょう。ノーパソがどう転ぼうともデスクトップはむしろ強固な市場として残り続けることでしょう。そろそろマイクロソフトもパソコン用とモバイル用でOSを分けるだけではなく、パソコン用OSをデスクトップ用とノーパソ以下用に分けて提供した方が良い時期に来ているのかも知れません。

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