※個人ブログゆえ、ある程度のネタバレを含んでいます
もはやただのドリンクとのセット販売になった劇場限定ゴジラ頭部
「ゴジラ -1.0」。本作は"ゴジラ70周年記念"と銘打たれています。しかし、「ゴジラ」第一作は1954年に公開された映画。現在は2023年ですから厳密に言えば69周年で70年目に入った、が現在なわけです。なので公開は一年早かったんじゃないかな? と思うところもあるわけで。ひょっとしたら「ゴジラ -1.0」は70周年の前座で2024年の11月3日には隠し玉としてもう一本極秘製作された新作が用意され、それが今回最後に特報の形で発表されたりしないかな? などと別の期待もしておりました。ちなみに過去のゴジラでの〇周年では何かあったかと振り返りますと・10周年特に何もなかったようです。ただ、本年は春に「モスラ対ゴジラ」、冬に「三大怪獣地球最大の決戦」と二本もゴジラものが公開される珍しい年でした。しかもこの間の夏にも「宇宙大怪獣ドゴラ」が作られており、わずか一年で三本もの怪獣映画が本多監督の手によって作られる過密スケジュールの年であったため、内部としてはゴジラ10周年というより怪獣映画10周年という感じでやっていたのかも知れません。・20周年明確に周年を謳った「ゴジラ対メカゴジラ」が春に公開されています。とはいえ子供向け興業企画の東宝チャンピオンまつりの一本であることに変わりはなく、また予算が増えたということもなかったようで、あくまで宣伝文句だけだったようです。・30周年特にそういう宣伝文句はなかったようですが、この年は1984年度版「ゴジラ」が作られ、公開されています。宣伝としては30周年よりもゴジラ復活の方が大きく使われていました。・40周年こちらは記念作として読み方は20周年と同じ「ゴジラVSメカゴジラ」が作られました。あえて合わせたと思われます。ただ、製作公開は1993年であり、一年前倒しになっています。これは当時トライスター版ゴジラが1994年公開予定だったこともあって1994年は東宝としてはゴジラは空ける予定だったという事情があります。代わりに1994年特撮映画として「ヤマトタケル」が作られ、こちらがこの年のメインになるはずでした。が、トラゴジが結局延期になったため急遽1994年も「ゴジラVSスペースゴジラ」が作られることになり、特に周年記念は謳われませんでした。・50周年「ゴジラ ファイナルウォーズ」が"50年の集大成」として製作されました。が、周年を記念するより最後のゴジラ、という方が大きく取り上げられていました。・60周年何もありませんでした。代わりと言ってはなんですがモンスターバース第一作となるレジェンダリー版「GODZILLA」が製作公開され、「日本はこの節目に何をやってるんだ」と憤慨した覚えはあります。
70周年を今年の段階で謡っているのはモンスターバースの新作が来年公開のため、40周年の時のように前倒しにしただけ、という可能性はあります。もっともあちらの新作はゴジラの出番は少な目になりそうですが。
そろそろバックするための場所稼ぎは十分かな? 事前に「ゴジラ -1.0」の内容の予想はしていました。が、ほとんど当たっていませんでした。驚くほど第一作「ゴジラ」の存在の完全否定、それ以前の時代世界で登場するゴジラとなっており、つながりは全くありませんでした。当たっていたのは核実験にさらされる以前のゴジラが登場したこと、前半はストーリーが怪獣の存在を前提とせずに一市民の視点で展開することくらいでした。
細かい点を言えば演出の都合と思われるシーンは目立ち、不満はあります。水爆実験以前の時代を描くがゆえに本作のゴジラは水爆の洗礼を受けることができず、熱線も使えないのではないかと考えていましたが、代わりに1946年のビキニ環礁での核実験の影響を受けた(らしい)ことが劇中の描写にあります。が、確か1946年での実験は水爆ではなく原爆だったはず。それならゴジラはそれほど強くないのでは・・・と思っていたらその通りで、1947年当時の攻撃でもある程度ダメージを受ける程度の耐久性しかありません。ただしダメージを受けても瞬時に再生する圧倒的生命力があり、その描写が明確に書かれているのでびくともしないというよりゴジラの倒しようのないタフさはむしろ分かりやすかったように思います。そこはいいんですが、序盤核にさらされる以前、まだ第二次世界大戦中のゴジラは大戸島に居ました。大戸島がどこにあるか不明ですが、名前からして日本の島です。なのにそのあとビキニ環礁で原爆実験にさらされている・・・。これはゴジラが日本の領海からわざわざビキニ環礁まで出向いて行って、核実験を受けてからまた日本に帰ってくる、という非常に不自然な行動をとったように見えます。ちょっとだけ大戸島は日本が占領した太平洋中央部の孤島に日本風の名前を付けただけで実際にはビキニ環礁近くの島、とも考えましたが映画内で、大戸島の住民によって「ゴジラ」と呼ばれていた怪獣の表記を漢字で「呉爾羅」と書く箇所があったところから見るとその可能性も低そうです。わざわざパワーアップのために出向いたのか、それともアメリカが実験のために捕まえてビキニ環礁に連れて行ったのか・・・? 原爆による巨大生物への影響を調べるため、ゴジラを捕獲してビキニ環礁に連れて行って原爆をぶつけた。当然死ぬだろうと思っていたらかえってパワーアップしたので手に負えなくなり、間違ってもアメリカ本土へ来ないように音波などで日本側へ誘導したのが日本近海へ現れた原因、とか考えると辻褄が合いそうで面白いかな、後付けですけど。これ以外にも東京上陸したゴジラに砲撃する戦車はどこから出てきたのか? アメリカは軍事行動を起こすことでソ連を刺激することを恐れ(わたし説だとゴジラと核実験の関係を追及されることを恐れて不干渉を貫いたって解釈も)て動かないと説明されていたので、米軍の戦車ではなさそうですがじゃぁ当時の占領下の日本に戦車数台を勝手に動かす権利があったのか? という疑問もわきます。これもゴジラに反撃という手段で熱線を撃たせる理由を作るため、という演出上の都合で出てきただけだったように思えてなりません。今回のゴジラは熱線を撃つと自身にもダメージが跳ね返ってきて再生するまで連発できないようなので、理由もなしに撃つよりははるかにいいのですが。
と、いくつか気になるところはありました。が、それらをぶっ飛ばすほど"音"の使い方が良かった。海の音が少し変化するだけで湧き上がる恐怖感、猛烈な衝撃音、クライマックスに数秒間すべての音を消して、一瞬自分の耳が聞こえなくなったかと錯覚を起こすほどのメリハリ。何よりきわめて地に足の着いた貧弱な武装と作戦でゴジラに最後の決戦を挑もうとする際に流れる伊福部昭氏作曲によるSF交響曲! スタッフロールでは「ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」からの流用のように書かれていますが実際にはコンサート向けに編曲したSF交響曲が使われていましたが、この際の圧倒的高揚感が何より素晴らしい。自然と拳と顎に力が入ってからだが勝手に動いてしまい、何度も腕や足をそこらにぶつけてしまいました(大迷惑行為。まぁ他の観客はみんな後ろなので気づく人はいなかったと思います)。伊福部サウンドの流用がパロディに聞こえず、高揚感を湧き立てる感触は、それをやった初作品である「ゴジラVSビオランテ」いらいかも知れません。そういえば全体的な空気も背景とする時代は違いますがどことなく「ゴジラVSビオランテ」を感じさせました。怪獣映画というより戦後を描いた時代劇を描きながらの怪獣の登場する映画、という流れでしたが退屈する暇はなく、なによりここ最近の国産ゴジラで不満要素だった"理屈っぽさ"による思考停止が全く感じられない、ようやく「シン・ゴジラ」の呪縛から逃れられることを今後期待させる、怖さと面白さに満ち溢れた映画でした。ただ、ビジュアルには寂しさも感じます。やってることがアメリカのゴジラと一緒なんですよねぇ。背びれを水面から上に出して泳ぐサメ映画みたいな泳法は過去の日本のゴジラでは1984版くらいしかやってなかったはずなのですが本作は多用。熱線を吐く際に尻尾からメーターのようにに発光するやり方もアメリカ式。一見過去の日本のゴジラに近いデザインですが細部の皮膚描写はやはりアメリカゴジラに近く、悪く言えばアチラのコピーのようにも見えます。もともとアメリカ式とは全く異なる進化の道を進んできた日本の特撮がアメリカのやり方を真似するだけになってしまった昨今の事情も反映してか日本ぽさがすっかり抜けてしまったように思われてなりません。最後に、ラストのの再生を思わせる描写はちょっと蛇足な感はあります。これは「ゴジラVSデストロイア」以降の「(死しても)またゴジラは必ずスクリーンに帰ってきます 」の精神を反映するためと思われます。
若干不満点多めの書き込みになってしまいましたが、これは鑑賞から一晩たって落ち着いてからの評価になりましたので鑑賞直後の興奮の反動が反映されてしまったがゆえ。上映中や直後は興奮しっぱなしで退屈する暇がなく、問答無用理屈抜きで楽しめた映画であることも事実です。鑑賞の際は音の良さを感じられる会場と座席で全身で感じることをお勧めします。
そうそう、来年の特報とか一切ありませんでした。

「ゴジラ -1.0」。本作は"ゴジラ70周年記念"と銘打たれています。しかし、「ゴジラ」第一作は1954年に公開された映画。現在は2023年ですから厳密に言えば69周年で70年目に入った、が現在なわけです。なので公開は一年早かったんじゃないかな? と思うところもあるわけで。ひょっとしたら「ゴジラ -1.0」は70周年の前座で2024年の11月3日には隠し玉としてもう一本極秘製作された新作が用意され、それが今回最後に特報の形で発表されたりしないかな? などと別の期待もしておりました。ちなみに過去のゴジラでの〇周年では何かあったかと振り返りますと・10周年特に何もなかったようです。ただ、本年は春に「モスラ対ゴジラ」、冬に「三大怪獣地球最大の決戦」と二本もゴジラものが公開される珍しい年でした。しかもこの間の夏にも「宇宙大怪獣ドゴラ」が作られており、わずか一年で三本もの怪獣映画が本多監督の手によって作られる過密スケジュールの年であったため、内部としてはゴジラ10周年というより怪獣映画10周年という感じでやっていたのかも知れません。・20周年明確に周年を謳った「ゴジラ対メカゴジラ」が春に公開されています。とはいえ子供向け興業企画の東宝チャンピオンまつりの一本であることに変わりはなく、また予算が増えたということもなかったようで、あくまで宣伝文句だけだったようです。・30周年特にそういう宣伝文句はなかったようですが、この年は1984年度版「ゴジラ」が作られ、公開されています。宣伝としては30周年よりもゴジラ復活の方が大きく使われていました。・40周年こちらは記念作として読み方は20周年と同じ「ゴジラVSメカゴジラ」が作られました。あえて合わせたと思われます。ただ、製作公開は1993年であり、一年前倒しになっています。これは当時トライスター版ゴジラが1994年公開予定だったこともあって1994年は東宝としてはゴジラは空ける予定だったという事情があります。代わりに1994年特撮映画として「ヤマトタケル」が作られ、こちらがこの年のメインになるはずでした。が、トラゴジが結局延期になったため急遽1994年も「ゴジラVSスペースゴジラ」が作られることになり、特に周年記念は謳われませんでした。・50周年「ゴジラ ファイナルウォーズ」が"50年の集大成」として製作されました。が、周年を記念するより最後のゴジラ、という方が大きく取り上げられていました。・60周年何もありませんでした。代わりと言ってはなんですがモンスターバース第一作となるレジェンダリー版「GODZILLA」が製作公開され、「日本はこの節目に何をやってるんだ」と憤慨した覚えはあります。
70周年を今年の段階で謡っているのはモンスターバースの新作が来年公開のため、40周年の時のように前倒しにしただけ、という可能性はあります。もっともあちらの新作はゴジラの出番は少な目になりそうですが。
そろそろバックするための場所稼ぎは十分かな? 事前に「ゴジラ -1.0」の内容の予想はしていました。が、ほとんど当たっていませんでした。驚くほど第一作「ゴジラ」の存在の完全否定、それ以前の時代世界で登場するゴジラとなっており、つながりは全くありませんでした。当たっていたのは核実験にさらされる以前のゴジラが登場したこと、前半はストーリーが怪獣の存在を前提とせずに一市民の視点で展開することくらいでした。
細かい点を言えば演出の都合と思われるシーンは目立ち、不満はあります。水爆実験以前の時代を描くがゆえに本作のゴジラは水爆の洗礼を受けることができず、熱線も使えないのではないかと考えていましたが、代わりに1946年のビキニ環礁での核実験の影響を受けた(らしい)ことが劇中の描写にあります。が、確か1946年での実験は水爆ではなく原爆だったはず。それならゴジラはそれほど強くないのでは・・・と思っていたらその通りで、1947年当時の攻撃でもある程度ダメージを受ける程度の耐久性しかありません。ただしダメージを受けても瞬時に再生する圧倒的生命力があり、その描写が明確に書かれているのでびくともしないというよりゴジラの倒しようのないタフさはむしろ分かりやすかったように思います。そこはいいんですが、序盤核にさらされる以前、まだ第二次世界大戦中のゴジラは大戸島に居ました。大戸島がどこにあるか不明ですが、名前からして日本の島です。なのにそのあとビキニ環礁で原爆実験にさらされている・・・。これはゴジラが日本の領海からわざわざビキニ環礁まで出向いて行って、核実験を受けてからまた日本に帰ってくる、という非常に不自然な行動をとったように見えます。ちょっとだけ大戸島は日本が占領した太平洋中央部の孤島に日本風の名前を付けただけで実際にはビキニ環礁近くの島、とも考えましたが映画内で、大戸島の住民によって「ゴジラ」と呼ばれていた怪獣の表記を漢字で「呉爾羅」と書く箇所があったところから見るとその可能性も低そうです。わざわざパワーアップのために出向いたのか、それともアメリカが実験のために捕まえてビキニ環礁に連れて行ったのか・・・? 原爆による巨大生物への影響を調べるため、ゴジラを捕獲してビキニ環礁に連れて行って原爆をぶつけた。当然死ぬだろうと思っていたらかえってパワーアップしたので手に負えなくなり、間違ってもアメリカ本土へ来ないように音波などで日本側へ誘導したのが日本近海へ現れた原因、とか考えると辻褄が合いそうで面白いかな、後付けですけど。これ以外にも東京上陸したゴジラに砲撃する戦車はどこから出てきたのか? アメリカは軍事行動を起こすことでソ連を刺激することを恐れ(わたし説だとゴジラと核実験の関係を追及されることを恐れて不干渉を貫いたって解釈も)て動かないと説明されていたので、米軍の戦車ではなさそうですがじゃぁ当時の占領下の日本に戦車数台を勝手に動かす権利があったのか? という疑問もわきます。これもゴジラに反撃という手段で熱線を撃たせる理由を作るため、という演出上の都合で出てきただけだったように思えてなりません。今回のゴジラは熱線を撃つと自身にもダメージが跳ね返ってきて再生するまで連発できないようなので、理由もなしに撃つよりははるかにいいのですが。
と、いくつか気になるところはありました。が、それらをぶっ飛ばすほど"音"の使い方が良かった。海の音が少し変化するだけで湧き上がる恐怖感、猛烈な衝撃音、クライマックスに数秒間すべての音を消して、一瞬自分の耳が聞こえなくなったかと錯覚を起こすほどのメリハリ。何よりきわめて地に足の着いた貧弱な武装と作戦でゴジラに最後の決戦を挑もうとする際に流れる伊福部昭氏作曲によるSF交響曲! スタッフロールでは「ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」からの流用のように書かれていますが実際にはコンサート向けに編曲したSF交響曲が使われていましたが、この際の圧倒的高揚感が何より素晴らしい。自然と拳と顎に力が入ってからだが勝手に動いてしまい、何度も腕や足をそこらにぶつけてしまいました(大迷惑行為。まぁ他の観客はみんな後ろなので気づく人はいなかったと思います)。伊福部サウンドの流用がパロディに聞こえず、高揚感を湧き立てる感触は、それをやった初作品である「ゴジラVSビオランテ」いらいかも知れません。そういえば全体的な空気も背景とする時代は違いますがどことなく「ゴジラVSビオランテ」を感じさせました。怪獣映画というより戦後を描いた時代劇を描きながらの怪獣の登場する映画、という流れでしたが退屈する暇はなく、なによりここ最近の国産ゴジラで不満要素だった"理屈っぽさ"による思考停止が全く感じられない、ようやく「シン・ゴジラ」の呪縛から逃れられることを今後期待させる、怖さと面白さに満ち溢れた映画でした。ただ、ビジュアルには寂しさも感じます。やってることがアメリカのゴジラと一緒なんですよねぇ。背びれを水面から上に出して泳ぐサメ映画みたいな泳法は過去の日本のゴジラでは1984版くらいしかやってなかったはずなのですが本作は多用。熱線を吐く際に尻尾からメーターのようにに発光するやり方もアメリカ式。一見過去の日本のゴジラに近いデザインですが細部の皮膚描写はやはりアメリカゴジラに近く、悪く言えばアチラのコピーのようにも見えます。もともとアメリカ式とは全く異なる進化の道を進んできた日本の特撮がアメリカのやり方を真似するだけになってしまった昨今の事情も反映してか日本ぽさがすっかり抜けてしまったように思われてなりません。最後に、ラストのの再生を思わせる描写はちょっと蛇足な感はあります。これは「ゴジラVSデストロイア」以降の「(死しても)またゴジラは必ずスクリーンに帰ってきます 」の精神を反映するためと思われます。
若干不満点多めの書き込みになってしまいましたが、これは鑑賞から一晩たって落ち着いてからの評価になりましたので鑑賞直後の興奮の反動が反映されてしまったがゆえ。上映中や直後は興奮しっぱなしで退屈する暇がなく、問答無用理屈抜きで楽しめた映画であることも事実です。鑑賞の際は音の良さを感じられる会場と座席で全身で感じることをお勧めします。
そうそう、来年の特報とか一切ありませんでした。