今年の新年の友人間での飲み会では
「ウチの会社は経営者が無能なせいで休日は少ないし給料は上がらないしボーナスは出ないしで散々なのよ。そういうわけでお金ないから奢って」
の鉄板ネタを会ごとに披露したにも関わらず誰も同情してくれませんでした。なぜだ!? しかもビール一杯で酷い悪酔いして立てなくなってほとんど飲み食いせずに会費だけ負担したことも。多分年末年始に三日連続、その前後も三日と開けずに酒を飲む機会が多かったせいでしょう。当分禁酒だ、こりゃ。
さて、この一年くらいで感じる変化と言えばもちろん地元から大型店の相次ぐ撤退、さらには消費税増税による景気の悪化もあって客足どころか人がそもそも街に来なくなった・・・が一番ではありますが、年号表記が変わった、というのがもう一つあります。まだ一年たっていませんが、昨年の四月いっぱいをもって"平成"という年号が終わりました。そして"令和"になったわけですが、この年号が驚くほど使われないという事実であります。平成時代は頑なに"平成"で書かれた日付が今やすっかり"西暦"になってしまいました。今年に入って銀行関係の書類を何枚か書く機会がありましたが、数年前なら「平成」が予め書いてあって、「平成」で日付を書くように要求されていた書類が「西暦」が予め記載されていて「西暦」で書くようになっており、ちょっと驚かされました。本当に日本じゃ断固として西暦表記をさせずに和暦表記を行うのが当然、とされてきましたからね。ひょっとして法律で「記録のための日付表記は和暦を使うこと」なんて決められてるんじゃないか、と疑って何人かにそれを聞いたことさえあるのですが一応今まで聞いた全員から「そんな法律は聞いたことがない」という返事が返ってきたので、少なくとも西暦表記のみを行うのが罰則付きの違法行為ということはないんでしょう。流れが変わったのは「平成」の終了が珍しくも予告されていたからでしょうね。まだ地元の地銀は今年に入っても令和表記をしているので全部ではありませんが、銀行にそうした流れがあるのをいいことに、わたしも自分の店で出す書類なんかは五月を境に和暦から西暦下二桁表記に変えました。そもそもわたしは和暦で記録をすることを非合理的だと考えていたので以前から西暦にしたかったのですが、亡き父が頑固に和暦に拘るものですから変えることができずにいただけだったのです。大半のお客さんは何も言わなくても理解してくれましたが、一部後で電話で怒ってくる人はいましたね。
「19年とはなんなんだ? 今は平成31年だろうが!」
って。ちなみに「令和元年だ!」って怒る人は一人もいませんでした。
そもそもわたしが西暦と和暦の二重表記を不合理に感じるようになったのは忘れもしない小学三年生の時。今はどうかわかりませんが、わたしが子供のころの小学三年生の社会の授業と言えば「郷土を学ぶ」でした。そのため、全国出版社の検定教科書も配布されましたが使うことは全くなく、専ら地元の教育委員会が発行した大判の冊子が教科書の代わりに使われていました。で、その中の郷土史の項目に差し掛かった時、たまたまわたしが授業中に教科書(冊子)を読む指定を受けたのです。起立して、書いてある通りに教科書を声を出して読んでいたところ、途中で「そうじゃないだろ。ちゃんと教科書通りに読め」と注意を受けました。教科書通りに読んでいたつもりのわたしにはその指摘するものがなんなのか全くわからず、逆に「どこが悪かったのでしょうか」と聞き返したところ「ちゃんと昭和で読め」と言われました。照らし合わせてみたところ、なぜかわたし(およびクラスにもう一人いたはず)の教科書だけ年が西暦表記に、担任教師を含む大多数のクラスメイトの教科書は和暦(大正以前などは和暦+小さく括弧付きの西暦表記)になっていたのです。昨年までは西暦で教えていたのをその年から和暦で教えるように改定したのでしょうが、古い版が少し納品された教科書群に紛れていたらしく、その一冊がたまたまわたしの手元に配布されたようです。ちなみに和暦表記以外の違いは皆無でした。で、どうしたかというと、教科書を全部調べて、人の教科書と照らし合わせたり、あるいは自分で調べて計算させられたりしながら西暦表記を全部和暦に書き換えるよう命が下ったのでした。該当箇所を探しては直しながら「西暦でいいじゃん、なんでいちいち昭和で覚える必要があるんだろ」とブツブツ文句をいいながらやったものです。
そもそも"年"というものを日本人が意識できるようになったのは、新聞が発行されて日付を見る機会が多くなった明治以降の話でしょう。それ以前は大多数の一般市民は"年"など興味もなく生きていたと思います。わたしの地元のような田舎町ではころころ変わる年号の情報をちゃんと知っていたのは、お上からのお触れを掲示する役場か、命日を正しく記載する必要があるお寺くらいなものだったようです。一般人はどうしていたかというと、我が家に残る記録に従えば干支で"年"を書いていたようです。今年の一月二十日なら「子 一月二十日」、三年前なら「酉 一月二十日」のような感じでした。もちろん正月だけでなく、通年通して干支表記です。江戸時代の人は現代のわたしたちより干支表記を十二進数として感じる能力に長けていたようです。干支じゃ当然十二年しか数えることはできませんが、当時はそれだけあれば十分、少なくとも不定期に変更される年号よりは定期的に変わる分使いやすかったのでしょう。これはあくまでウチの記録によれば、の話であって、地域によっては独自の年号を定めたり、あるいは年号のようにリセットされることがない皇紀を使っていた(ちなみに今年は皇紀2680年。皇紀計算は西暦+660)ところもあったかもしれません。皇紀は明治に廃止になるまでは一応使われていたようですし。ただ、今でも正月になると「今年は子年です」と言った挨拶が年賀状などで使われるのを見る限り、干支を年表記として使う習慣は全国的に多くの地域で行われたものであったと思います。年賀状に干支を書くのは、年始に当時の今年使う干支を確認した挨拶習慣の名残でしょう。
言っておきますが、わたしは和暦をやめろ、と言っているのではありません。干支で年を現す表記で使うことはもうほとんどないのだから干支を廃止しろ、という人がまぁ見たことないのと一緒です。国の発行や格式だった行事での表彰などの記載、それに年賀状に書くのにに和暦を使うのは構わないと思います。が、特にビジネス用の記録に和暦を使うのはもう合理的でないので西暦にしましょうよ、という話であります。それだけに今回の前天皇の退位に伴う年号の移行はよかった、と思うわけです。
ただ、完全移行は当分先の話でしょう。それは、こと自分の誕生日にいたっては多くの日本人が「昭和」「平成」で丸覚えしてしまっていて、計算早見表と照らし合わせでもしなければ西暦で書くことができないからです。自分の誕生日を個人情報として記載する機会は数多くありますが、そのほとんどが和暦を前提として要求しているので西暦を書くことがあまりないからでしょう。先の銀行の書類も、誕生日欄だけは「大正」「昭和」「平成」「西暦」の四項目のどれかに〇を付けるようになってました、わたしはもちろん西暦書きです。
そのうちやっぱり「日付の記録に令和を使うこと」みたいなお達しが来る可能性はゼロではありません。ただ、PCでの記録は平成の時代から西暦でやってマクロで自動和暦変換してましたし、ある意味無駄なことをやらせていたわけです。その効率を差し置いてまで和暦を使え、とお上が言ってくることもないでしょう、多分。まぁその時までは効率優先・合理主義で西暦でやっておいた方がいいでしょうね。少なくとも今年を「平成32年」だとか「昭和95年」扱いするよりは。
「ウチの会社は経営者が無能なせいで休日は少ないし給料は上がらないしボーナスは出ないしで散々なのよ。そういうわけでお金ないから奢って」
の鉄板ネタを会ごとに披露したにも関わらず誰も同情してくれませんでした。なぜだ!? しかもビール一杯で酷い悪酔いして立てなくなってほとんど飲み食いせずに会費だけ負担したことも。多分年末年始に三日連続、その前後も三日と開けずに酒を飲む機会が多かったせいでしょう。当分禁酒だ、こりゃ。
さて、この一年くらいで感じる変化と言えばもちろん地元から大型店の相次ぐ撤退、さらには消費税増税による景気の悪化もあって客足どころか人がそもそも街に来なくなった・・・が一番ではありますが、年号表記が変わった、というのがもう一つあります。まだ一年たっていませんが、昨年の四月いっぱいをもって"平成"という年号が終わりました。そして"令和"になったわけですが、この年号が驚くほど使われないという事実であります。平成時代は頑なに"平成"で書かれた日付が今やすっかり"西暦"になってしまいました。今年に入って銀行関係の書類を何枚か書く機会がありましたが、数年前なら「平成」が予め書いてあって、「平成」で日付を書くように要求されていた書類が「西暦」が予め記載されていて「西暦」で書くようになっており、ちょっと驚かされました。本当に日本じゃ断固として西暦表記をさせずに和暦表記を行うのが当然、とされてきましたからね。ひょっとして法律で「記録のための日付表記は和暦を使うこと」なんて決められてるんじゃないか、と疑って何人かにそれを聞いたことさえあるのですが一応今まで聞いた全員から「そんな法律は聞いたことがない」という返事が返ってきたので、少なくとも西暦表記のみを行うのが罰則付きの違法行為ということはないんでしょう。流れが変わったのは「平成」の終了が珍しくも予告されていたからでしょうね。まだ地元の地銀は今年に入っても令和表記をしているので全部ではありませんが、銀行にそうした流れがあるのをいいことに、わたしも自分の店で出す書類なんかは五月を境に和暦から西暦下二桁表記に変えました。そもそもわたしは和暦で記録をすることを非合理的だと考えていたので以前から西暦にしたかったのですが、亡き父が頑固に和暦に拘るものですから変えることができずにいただけだったのです。大半のお客さんは何も言わなくても理解してくれましたが、一部後で電話で怒ってくる人はいましたね。
「19年とはなんなんだ? 今は平成31年だろうが!」
って。ちなみに「令和元年だ!」って怒る人は一人もいませんでした。
そもそもわたしが西暦と和暦の二重表記を不合理に感じるようになったのは忘れもしない小学三年生の時。今はどうかわかりませんが、わたしが子供のころの小学三年生の社会の授業と言えば「郷土を学ぶ」でした。そのため、全国出版社の検定教科書も配布されましたが使うことは全くなく、専ら地元の教育委員会が発行した大判の冊子が教科書の代わりに使われていました。で、その中の郷土史の項目に差し掛かった時、たまたまわたしが授業中に教科書(冊子)を読む指定を受けたのです。起立して、書いてある通りに教科書を声を出して読んでいたところ、途中で「そうじゃないだろ。ちゃんと教科書通りに読め」と注意を受けました。教科書通りに読んでいたつもりのわたしにはその指摘するものがなんなのか全くわからず、逆に「どこが悪かったのでしょうか」と聞き返したところ「ちゃんと昭和で読め」と言われました。照らし合わせてみたところ、なぜかわたし(およびクラスにもう一人いたはず)の教科書だけ年が西暦表記に、担任教師を含む大多数のクラスメイトの教科書は和暦(大正以前などは和暦+小さく括弧付きの西暦表記)になっていたのです。昨年までは西暦で教えていたのをその年から和暦で教えるように改定したのでしょうが、古い版が少し納品された教科書群に紛れていたらしく、その一冊がたまたまわたしの手元に配布されたようです。ちなみに和暦表記以外の違いは皆無でした。で、どうしたかというと、教科書を全部調べて、人の教科書と照らし合わせたり、あるいは自分で調べて計算させられたりしながら西暦表記を全部和暦に書き換えるよう命が下ったのでした。該当箇所を探しては直しながら「西暦でいいじゃん、なんでいちいち昭和で覚える必要があるんだろ」とブツブツ文句をいいながらやったものです。
そもそも"年"というものを日本人が意識できるようになったのは、新聞が発行されて日付を見る機会が多くなった明治以降の話でしょう。それ以前は大多数の一般市民は"年"など興味もなく生きていたと思います。わたしの地元のような田舎町ではころころ変わる年号の情報をちゃんと知っていたのは、お上からのお触れを掲示する役場か、命日を正しく記載する必要があるお寺くらいなものだったようです。一般人はどうしていたかというと、我が家に残る記録に従えば干支で"年"を書いていたようです。今年の一月二十日なら「子 一月二十日」、三年前なら「酉 一月二十日」のような感じでした。もちろん正月だけでなく、通年通して干支表記です。江戸時代の人は現代のわたしたちより干支表記を十二進数として感じる能力に長けていたようです。干支じゃ当然十二年しか数えることはできませんが、当時はそれだけあれば十分、少なくとも不定期に変更される年号よりは定期的に変わる分使いやすかったのでしょう。これはあくまでウチの記録によれば、の話であって、地域によっては独自の年号を定めたり、あるいは年号のようにリセットされることがない皇紀を使っていた(ちなみに今年は皇紀2680年。皇紀計算は西暦+660)ところもあったかもしれません。皇紀は明治に廃止になるまでは一応使われていたようですし。ただ、今でも正月になると「今年は子年です」と言った挨拶が年賀状などで使われるのを見る限り、干支を年表記として使う習慣は全国的に多くの地域で行われたものであったと思います。年賀状に干支を書くのは、年始に当時の今年使う干支を確認した挨拶習慣の名残でしょう。
言っておきますが、わたしは和暦をやめろ、と言っているのではありません。干支で年を現す表記で使うことはもうほとんどないのだから干支を廃止しろ、という人がまぁ見たことないのと一緒です。国の発行や格式だった行事での表彰などの記載、それに年賀状に書くのにに和暦を使うのは構わないと思います。が、特にビジネス用の記録に和暦を使うのはもう合理的でないので西暦にしましょうよ、という話であります。それだけに今回の前天皇の退位に伴う年号の移行はよかった、と思うわけです。
ただ、完全移行は当分先の話でしょう。それは、こと自分の誕生日にいたっては多くの日本人が「昭和」「平成」で丸覚えしてしまっていて、計算早見表と照らし合わせでもしなければ西暦で書くことができないからです。自分の誕生日を個人情報として記載する機会は数多くありますが、そのほとんどが和暦を前提として要求しているので西暦を書くことがあまりないからでしょう。先の銀行の書類も、誕生日欄だけは「大正」「昭和」「平成」「西暦」の四項目のどれかに〇を付けるようになってました、わたしはもちろん西暦書きです。
そのうちやっぱり「日付の記録に令和を使うこと」みたいなお達しが来る可能性はゼロではありません。ただ、PCでの記録は平成の時代から西暦でやってマクロで自動和暦変換してましたし、ある意味無駄なことをやらせていたわけです。その効率を差し置いてまで和暦を使え、とお上が言ってくることもないでしょう、多分。まぁその時までは効率優先・合理主義で西暦でやっておいた方がいいでしょうね。少なくとも今年を「平成32年」だとか「昭和95年」扱いするよりは。