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Channel: 録画人間の末路 -
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日本の伝統的家制度の一つ

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各種手続き、特に相続税がやっと終わりました。一応この間揉めた警察から追加の連絡もなく、これで全部終わった(はず)! もう手続きに追われることなく休日を休日として過ごせる(はず)! ただし、お世話になった会計さんから
「この相続税に件で税務署が視察に来ると思います。それがいつになるか分かりません。年内か、はたまた5年後か。それ以上ってことはないと思いますが、忘れたころに「家をみせろ」とやって来る可能性は非常に高いです。頭の隅にとどめておいてください」と脅されてはいますが。家じゅうひっくり返して申告のない財産を見つけ出す、とそこまではしないはずですが、ざっと見て穿り返すことくらいはやってきそうです。しかも数年後となればこっちも申告の時のことなんか忘れてますしねぇ。まだ跡が怖いです。
遺産の配分はきょうだいで三等分だったのですが、現金ではなく割れないものに関しては原則わたしが引き取ってその分二人に現金配分を増やす、という形を遺言状に従ってとったのでわたしが一番現金配分が少ないのですが、支払う相続税は当然一番多い、それも上下二人を足した分よりわたし一人で払う分が断然多い(泣)内容でしたし、相続税の決定のために委託会社に払う手数料もバカにならない金額になりましたので、せめて手数料だけは割り勘(依頼はわたしの名前なので当然支払い義務はわたしにあるのですが)にしてもらうことで、なんとか遺産プラスアルファくらいの出費で済みました。万が一にとっておいた生命保険は手付かずで残りましたので、額面上減ったとは言え、預金通帳が底をつくことはなく一安心。少し余裕ができました。じゃぁ何か買ってしまおうかな~? だいぶ前に組み立てた動画再生向けPC(AMDの依頼でやったやつ)の中身をRavenRidgeに変えようかな? と計画をたてておるのですが、今回の副産物として銀行の営業にわたしの預金が強く印象付けられることになり、連日のように残った預金を投資に回せ、という催促の訪問や電話を受けております。個人的には投資というのは余裕がある分でやるものだ、と思っておりますので今の貯金状況では投資とかやりたくないのですが、あちらからすれば「減ったからこそ投資で増やさないと」なんでしょうねぇ。ただ、持ってくるのがアジアの新興国とか固くないハイリスク・ハイリターンの話ばかり。父の遺産調べているときにかなりそうしたリスクの大きな投資で失敗した跡をいくつか発見したので、とても手を出したくありません。父は別に投資に積極的なタイプには見えませんでしたので、多分銀行や証券会社の営業のノルマのために半ば言いなりでやらされていたのでしょう。そういう余計なことをしなければ、もう少し手続きは楽に済んだのですが。

さて、そうした手続きの中で、「万が一他に相続権のある人がいないかどうか調べないと」ということになり、休日に市役所を何度も訪ねて書類を出してもらわなければなりませんでした。年代もかなりさかのぼり、それこそ何十年も手付かずにいた、電子化すらしていない戸籍の書類まで探してもらって全部出してもらったのです。しかし、その古い戸籍の書類見ると、昔の人って本当に字がうまいですね。筆と墨で書かれているのにコピーを重ねて縮小しても全く字がつぶれず、ヘタな活字よりはるかに読みやすく書かれているのです。こうした役所の重要書類は特に字がうまい人に書かせていたのでしょうが、現代人でここまでの字が書ける人はどれだけいるか・・・。必要なくなった技術と言えばそれまでですが。割と手書きで字を書くことが多いわたしなど恥ずかしくてこれを書いた人に顔向けできません。

そしてその戸籍の名前を調べていると、字面や読み方に共通点があることが感じられてきました。それはウチの家の事情に関係するものなのです。
日本では江戸時代まで武家をはじめとする支配階級以外は一部許可を得た家を除いていわゆる「名字」を使うことが許されない、とされてきました。まぁ近代ではそれは必ずしも正しくなく、あくまで公式の記録に名字が使えないだけで、"家"として家名となる名字がないと不便となる家では非公式に名字が使われていたケースは少なくないらしいです。ウチも"家"としては家名がないと不便なくらいの家だったらしいんですが、名字を持った記録はなく、どうも幕府のやり方を馬鹿正直に守っていたらしいです。で、その代わりに代々家の主人は同じ名前を継承し続けていたんです。と書くと何かの家元で何代目〇〇、とかを襲名するのを連想するかと思いますが、それとも少し違って本気で改名し、かつ何代目とかそういう区別もなかったんです。「〇〇の家」として継承されていればそれでよく、今の代が誰なのかは二の次、どうでもいい扱いだったらしいんですね。少なくとも江戸時代のウチでは個人個人の存在価値というものはありませんでした。しかもその習慣、時代が明治になって一般の家でも名字がつくようになってもその名前の継続がずっと続いていたんです。ここで話は戻りますが、先の書類で調べられる限り、わが家系の男はその名前を継承し、後で改名することを前提とした名前、継承名の一部を入れたり発音が似ていたり似た字を使ったり・・・というものばかりでした。長男は当然として、弟もそのパターンの場合が見受けられます。上が早死にした場合弟が名と家を継ぐ・・・も当然と考えられていたのでしょうね。この習慣がやっとやめられたのが、わが祖父の代です。その先代から跡を継いだとき、当然周りから改名させられようとしたらしいのですが断固と拒否、その息子すなわち父とその兄弟に対しては我が家の歴史上はじめて襲名と無関係な名がつけられました。ちなみに父が継いだ時もまだ改名を周りからおしつけられそうになったとか。
ちなみにわたしは、と言いますと、今回初めて気づいたのですが、そういう意味では先祖返り、襲名に近い発音と字面の名前となっています。昔ちょっと書きましたがわたしの名前はお坊さんがつけたものです。その寺とウチとは代々の付き合いがあり、当然襲名の習慣があることも知ってたはずです。だから、なんだかんだ理由をつけて古い習慣の名前を押し付けた可能性は否定できません。そういえば生前の父はわたしを名前で呼ぶことはほとんどなく、常時あだ名で呼んでいました。ひょっとしたら古い価値観を持ったわたしの名前を気に入っていなかったのかも知れません。もちろん改名する気など一切ありませんが。
一方女の名前はといいますと、これがひどい手抜き。ひらがなかカタカナで二~三文字程度の名前ばかりで、わたしには名前というより「識別のための記号」として付けたものとしか思えませんでした。多分、後で嫁に行って他所の家に入るのだから今家にいる間の識別ができればそれで十分くらいの扱いだったのでしょう。ちなみにそこに書かれていた人はまだ健在な人もいますが、みなそうした本名は使っておらず、自分でつけた現代風の通名をほとんどの場合名乗っています。そりゃそうでしょうね。

いまだに名残があるという点ではウチは特殊なケースかもしれませんが、ちょっと前までは支配階級やその出身者を除いて日本中で似たような名前の付け方が行われていたみたいです。個じゃなくて家、そういう家制度が日本の伝統となっていたのは間違いないです。良いか悪いかは別としましてね。そういえば、以前は近所でわたしは名前をヘタすれば「kちゃん」とチャン付けで呼ばれていたのですが、今はそうした人からも"名字+さん"で呼ばれるようになってしまいました。立場を考えればそれも仕方ないのですが、個よりも家、としてしか思われなくなったみたいで寂しいものです。

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