※個人ブログゆえに、映画の内容に関していくらか触れています。その旨ご了承ください
基本的に映画というものは、今まで昼間見るものだと思っていました。そのため、今までは主に休日を利用してみていましたし、どうしても休日が都合悪かったり少しでも早く見にいきたいものは店を抜けさせて見に行ったりしていたものです。ですが店を抜けることが不可能になり、休日も事務手続きでつぶれる日が多く、映画を見に行く暇さえ碌にない、そんな日々がこの一年ほど続いています。去年なんか3本しか見なかったものなぁ。ですが、最近なんとか仕事のリズムたようやくつかめてきて、一日店をやって終わらせても余裕が残る日々を送れるようになってきています。ならば店が終わった後に大急ぎで駆け付ければ映画の最終上映くらいなら間に合うんじゃね? と先日"レディ・プレイヤー1"で試したところ割と余裕でした。なんだ、それなら我慢することないじゃん、とりあえず見ておきたい映画くらいドンドン見てしまおう。ただし、上映開始から日にちが経ってしまうとその見やすい回に回ってきませんから、少しでも早く見にいかないといけない欠点はありますけどね。そういうわけで、先日公開が始まったばかりの"GODZILLA決戦機動増殖都市"見てきました~。遅い回だし、前作を見ていないとストーリーがわからないシリーズ三部作二作目だし、特撮怪獣ファンからすればアニメ、アニメファンからすれば必ずしも受け入れられないだろう3D処理とどこかど真ん中になりきらない条件もあって客の入りはどうかな? と思っていたのですが、思ったより混んでました。二日ほど前から座席の予約入れておいてよかった・・・。と言ってもなぜか真ん中より後ろの座席ばかり埋まっていてわたしが陣取る前の方はすいていたんですけどね。特にこの手の映画は絶対前の座席(会場の広さによって違いますが、個人的に3~5列目の真ん中あたりが最高だと思う)で見た方が映像効果も音響も迫力があって劇場鑑賞の良さを満喫できるのに、なんで後ろ行きたがりますかね。
前作"怪獣惑星"で思ったことは、「"シン・ゴジラ"が、自分にゴジラのある人間が苦悩しながら作り上げた映画だとしたら、"怪獣惑星"はそれほどゴジラに精通していない人間が自分の世界の中にゴジラを持ってきた映画だな」という点でした。それが悪いと言っているわけではありません。過去のゴジラにとらわれない分、マニアでは思いつかない視点からの映画製作が可能ですが。それでも、冒頭にあったゴジラの方から人間のそばにやってきて、かつそこから逃げようとするシャトルを容赦なく撃ち落としたシーンだけは許しがたいものはありますが、あの世界での怪獣とはああしたものと割り切るしかないでしょう。それ以降はしばらく怪獣映画ファンとしては置いてけぼり、場面が変わったと思ったら洋画みたいな展開でやはりなんか・・・。と映画に対して自分の孤独を感じてしまう内容でありました。
そういうわけで、実はそれほど「決戦機動増殖都市」に期待していたわけではなかったのです。今回は前回ラストの謎の人物に主人公が助けられたシーンからでした。その謎の人物は女の子の上、実は双子、さらにはテレパシーで知らない言語でも会話できる・・・と来ると怪獣映画ファンとすればああ、アレか、となるわけで(アレは出てこないですが)そっちのつかみから来たか、とちょっと関心。話が進むと予告にもあったメカゴジラが出てくるわけですが、正直2万年前のゴジラと戦わせるために作られたメカゴジラ、それも一度破壊されたものが、300m級のゴジラ・アース(パンフによると植物)と呼ばれる存在に歯が立つとは思えなかったわけです。これは登場人物も当然そう感じていたわけですが。細かいことは書かずにおきますが、メカゴジラ自体は壊れた姿でしか登場せず、全身図はパンフレットに掲載されているものを読まないと確認できません。作中では「メカゴジラ」はキーワードに過ぎず、そのシステムが生きているどころか2万年の間に進化しており、かつての製造用工場群全体がメカゴジラと同化しているような姿となっていました。そのシステム全体を使って兵器と罠を構築し、現在のゴジラを倒そうというのが決戦機動増殖都市の主なストーリーです。かつてゴジラに破壊されながらもシステムは生き延びていて増殖し、現在も制御可能なメカゴジラがなぜ当時は完成しながら機動することがなかったのか、という謎は残りますが、それ以外の複雑怪奇な設定は「メカゴジラ」というキーワードが間に入るせいか、意外とすんなり頭に入って来るものでした。今回は怪獣映画ファンを置いてけぼりにすることをいい意味でやめたようです。
この世界の地球の大部分(少なくとも登場人物の活動範囲内)はゴジラに迎合し、それを頂点として世界そのものが半ばゴジラ化していましたが、その一方で原住民の生活する地下を中心とした一体と、それに隣接するように隠れながら生きていたメカゴジラ地帯の2地区だけがゴジラに逆らい、独自の世界を作り続けるという、いわば「怪獣三国志」を形成しているようです。なるほど、"怪獣惑星"がファイナルウォーズベースなら"決戦機動増殖都市"は東京SOSベースですか。公開直前のBS11の東京SOSの放送はかなり気が利いていたやり方だったのですね。クライマックスは「三部作の二部作目」ならこうなるよね、という見本のような終わり方でしたが、全体的には非常に満足度が高かったのです。たまたまそういう構成になっていたのか、前作の反省点を踏まえてなのかはわかりませんが、不満がかなり解消される作りになっていました。
まず、ゴジラに余計な個性がなかったこと。先も書いたように自分にゴジラがいる人間からすれば前作の書き方には大いに疑問がありましたが、本作はそういうものがなく、ゴジラはただ強く、脅威として姿を現すだけのため、その映像的迫力と破壊力を堪能すればいい存在だった点です。第二には先に書いたように怪獣映画ファンにはわかりやすいキーワードを接点とすることで複雑な本作のSF設定を飲み込みやすくしたこと。第三に観客を煙に巻くような謎を提示せず、かつ前作の不可解な部分への解が朧気に見えてきたこと。
"怪獣惑星"最大の謎はなぜ十数光年もの距離をさまよう必要があったのか、宇宙人エクシフ・ビルサルドの目的はなんなのか、という点ですが、一つにはいわゆるウラシマ効果による時稼ぎ、二つには探すべきものがあった、三つ目は地球人の精神を弱らせること・・・といったものが考えられます。おそらく居住可能な惑星を探すつもりなどなかったのでしょう。探していたものそれはエクシフたちの言うところの神、それこそ第三部に予告される存在な気がしてなりません。ゴジラはその糧のなるために最大の状態まで育てられたのでしょうか、地球の切り札はまだ姿を見せぬ鳳凰の羽ばたきか・・・。直接謎を提示せず、想像の幅を広げさせる展開になっていただけに、今度は第三部が楽しみです。
実はもう一本、"ランペイジ 巨獣大乱闘"も観てきたんですけど、"決戦機動増殖都市"に消されちゃいましたねぇ、頭の中で。いや、すごくおもしろかったんですよ。三匹の巨大怪獣のうちゴリラのジョージ(猿で名前がジョージ、とくるとどうしても"ひとまねこざる"が思い出されるのはわたしだけか)と主人公の交流は"フランケンシュタイン対地底怪獣"を彷彿とさせるものでしたし、狼のラルフは大暴れで予想をはるかに超えて怪獣してましたし、ワニのリジーは唐突すぎてなんなんだ、せっかく犬と猿なんだから三匹目は鳥だろうとか思いましたがデザインも如何にも怪獣っぽくてスクリーン映えして、なにより米軍が本気になって対処しても蹴散らされるほど強い! 三匹とも個性があって見どころ満載、晴天昼間の市街地だというのにありがちなCG臭さもさほど感じさせず、破壊の迫力を存分に堪能させてくれる、劇場で見るにはアメリカ製の怪獣映画としては満足度最高と言っていい映画です。ただ、後日DVDとかで見るとバカ映画に感じるのも間違いないですが。実際予告編はB級バカ映画にしか見えないし、客も全然入ってなかった(最終上映とは言え、わたしを含めてたった三人)のもしょうがないかな。
基本的に映画というものは、今まで昼間見るものだと思っていました。そのため、今までは主に休日を利用してみていましたし、どうしても休日が都合悪かったり少しでも早く見にいきたいものは店を抜けさせて見に行ったりしていたものです。ですが店を抜けることが不可能になり、休日も事務手続きでつぶれる日が多く、映画を見に行く暇さえ碌にない、そんな日々がこの一年ほど続いています。去年なんか3本しか見なかったものなぁ。ですが、最近なんとか仕事のリズムたようやくつかめてきて、一日店をやって終わらせても余裕が残る日々を送れるようになってきています。ならば店が終わった後に大急ぎで駆け付ければ映画の最終上映くらいなら間に合うんじゃね? と先日"レディ・プレイヤー1"で試したところ割と余裕でした。なんだ、それなら我慢することないじゃん、とりあえず見ておきたい映画くらいドンドン見てしまおう。ただし、上映開始から日にちが経ってしまうとその見やすい回に回ってきませんから、少しでも早く見にいかないといけない欠点はありますけどね。そういうわけで、先日公開が始まったばかりの"GODZILLA決戦機動増殖都市"見てきました~。遅い回だし、前作を見ていないとストーリーがわからないシリーズ三部作二作目だし、特撮怪獣ファンからすればアニメ、アニメファンからすれば必ずしも受け入れられないだろう3D処理とどこかど真ん中になりきらない条件もあって客の入りはどうかな? と思っていたのですが、思ったより混んでました。二日ほど前から座席の予約入れておいてよかった・・・。と言ってもなぜか真ん中より後ろの座席ばかり埋まっていてわたしが陣取る前の方はすいていたんですけどね。特にこの手の映画は絶対前の座席(会場の広さによって違いますが、個人的に3~5列目の真ん中あたりが最高だと思う)で見た方が映像効果も音響も迫力があって劇場鑑賞の良さを満喫できるのに、なんで後ろ行きたがりますかね。
前作"怪獣惑星"で思ったことは、「"シン・ゴジラ"が、自分にゴジラのある人間が苦悩しながら作り上げた映画だとしたら、"怪獣惑星"はそれほどゴジラに精通していない人間が自分の世界の中にゴジラを持ってきた映画だな」という点でした。それが悪いと言っているわけではありません。過去のゴジラにとらわれない分、マニアでは思いつかない視点からの映画製作が可能ですが。それでも、冒頭にあったゴジラの方から人間のそばにやってきて、かつそこから逃げようとするシャトルを容赦なく撃ち落としたシーンだけは許しがたいものはありますが、あの世界での怪獣とはああしたものと割り切るしかないでしょう。それ以降はしばらく怪獣映画ファンとしては置いてけぼり、場面が変わったと思ったら洋画みたいな展開でやはりなんか・・・。と映画に対して自分の孤独を感じてしまう内容でありました。
そういうわけで、実はそれほど「決戦機動増殖都市」に期待していたわけではなかったのです。今回は前回ラストの謎の人物に主人公が助けられたシーンからでした。その謎の人物は女の子の上、実は双子、さらにはテレパシーで知らない言語でも会話できる・・・と来ると怪獣映画ファンとすればああ、アレか、となるわけで(アレは出てこないですが)そっちのつかみから来たか、とちょっと関心。話が進むと予告にもあったメカゴジラが出てくるわけですが、正直2万年前のゴジラと戦わせるために作られたメカゴジラ、それも一度破壊されたものが、300m級のゴジラ・アース(パンフによると植物)と呼ばれる存在に歯が立つとは思えなかったわけです。これは登場人物も当然そう感じていたわけですが。細かいことは書かずにおきますが、メカゴジラ自体は壊れた姿でしか登場せず、全身図はパンフレットに掲載されているものを読まないと確認できません。作中では「メカゴジラ」はキーワードに過ぎず、そのシステムが生きているどころか2万年の間に進化しており、かつての製造用工場群全体がメカゴジラと同化しているような姿となっていました。そのシステム全体を使って兵器と罠を構築し、現在のゴジラを倒そうというのが決戦機動増殖都市の主なストーリーです。かつてゴジラに破壊されながらもシステムは生き延びていて増殖し、現在も制御可能なメカゴジラがなぜ当時は完成しながら機動することがなかったのか、という謎は残りますが、それ以外の複雑怪奇な設定は「メカゴジラ」というキーワードが間に入るせいか、意外とすんなり頭に入って来るものでした。今回は怪獣映画ファンを置いてけぼりにすることをいい意味でやめたようです。
この世界の地球の大部分(少なくとも登場人物の活動範囲内)はゴジラに迎合し、それを頂点として世界そのものが半ばゴジラ化していましたが、その一方で原住民の生活する地下を中心とした一体と、それに隣接するように隠れながら生きていたメカゴジラ地帯の2地区だけがゴジラに逆らい、独自の世界を作り続けるという、いわば「怪獣三国志」を形成しているようです。なるほど、"怪獣惑星"がファイナルウォーズベースなら"決戦機動増殖都市"は東京SOSベースですか。公開直前のBS11の東京SOSの放送はかなり気が利いていたやり方だったのですね。クライマックスは「三部作の二部作目」ならこうなるよね、という見本のような終わり方でしたが、全体的には非常に満足度が高かったのです。たまたまそういう構成になっていたのか、前作の反省点を踏まえてなのかはわかりませんが、不満がかなり解消される作りになっていました。
まず、ゴジラに余計な個性がなかったこと。先も書いたように自分にゴジラがいる人間からすれば前作の書き方には大いに疑問がありましたが、本作はそういうものがなく、ゴジラはただ強く、脅威として姿を現すだけのため、その映像的迫力と破壊力を堪能すればいい存在だった点です。第二には先に書いたように怪獣映画ファンにはわかりやすいキーワードを接点とすることで複雑な本作のSF設定を飲み込みやすくしたこと。第三に観客を煙に巻くような謎を提示せず、かつ前作の不可解な部分への解が朧気に見えてきたこと。
"怪獣惑星"最大の謎はなぜ十数光年もの距離をさまよう必要があったのか、宇宙人エクシフ・ビルサルドの目的はなんなのか、という点ですが、一つにはいわゆるウラシマ効果による時稼ぎ、二つには探すべきものがあった、三つ目は地球人の精神を弱らせること・・・といったものが考えられます。おそらく居住可能な惑星を探すつもりなどなかったのでしょう。探していたものそれはエクシフたちの言うところの神、それこそ第三部に予告される存在な気がしてなりません。ゴジラはその糧のなるために最大の状態まで育てられたのでしょうか、地球の切り札はまだ姿を見せぬ鳳凰の羽ばたきか・・・。直接謎を提示せず、想像の幅を広げさせる展開になっていただけに、今度は第三部が楽しみです。
実はもう一本、"ランペイジ 巨獣大乱闘"も観てきたんですけど、"決戦機動増殖都市"に消されちゃいましたねぇ、頭の中で。いや、すごくおもしろかったんですよ。三匹の巨大怪獣のうちゴリラのジョージ(猿で名前がジョージ、とくるとどうしても"ひとまねこざる"が思い出されるのはわたしだけか)と主人公の交流は"フランケンシュタイン対地底怪獣"を彷彿とさせるものでしたし、狼のラルフは大暴れで予想をはるかに超えて怪獣してましたし、ワニのリジーは唐突すぎてなんなんだ、せっかく犬と猿なんだから三匹目は鳥だろうとか思いましたがデザインも如何にも怪獣っぽくてスクリーン映えして、なにより米軍が本気になって対処しても蹴散らされるほど強い! 三匹とも個性があって見どころ満載、晴天昼間の市街地だというのにありがちなCG臭さもさほど感じさせず、破壊の迫力を存分に堪能させてくれる、劇場で見るにはアメリカ製の怪獣映画としては満足度最高と言っていい映画です。ただ、後日DVDとかで見るとバカ映画に感じるのも間違いないですが。実際予告編はB級バカ映画にしか見えないし、客も全然入ってなかった(最終上映とは言え、わたしを含めてたった三人)のもしょうがないかな。