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Channel: 録画人間の末路 -
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先祖の残したオーディオで伊福部サウンドを感じる

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昨年から二回にわたって東京で堪能した生演奏の伊福部昭映画音楽。行けた会場、行けなかった会場で流された音楽を自分のものとしたくて、ついにCCCD事件以来長年にわたって嫌ってきたCD購入に踏み切ってしまいました。決意を曲げてまで買ったものならば可能な限り良い環境で聞きたいもの。わたしのPCじゃもちろん頼りないし、普段テレビ用に使っているオーディオシステムもちょっと色気がありません。こうなったら仕方ありません。「開かずの間」の扉を開き、わたしの先祖が「こんなこともあろうかと思って」残しておいてくれた最強兵器を稼働させます。



これぞ我が家に伝わるオーディオシステムです。これを購入したご先祖は非常に多趣味な人で、なかでも音楽収集と鑑賞をもっとも愛していました(周囲にある壺・像・絵画もそのコレクションの一部です)。戦中には「敵製音楽を処分もせずに隠し持っている」として官憲に通報され、たびたび危険な目にあったそうですが、結局レコードのコレクションを戦後まで守り抜きました(一部は今でも聞くことは可能です)。その後ひと財産築き、その金を持って田舎暮らしの身てありながら海外の最新音楽機器の情報をあらゆる手段を持って吸収し、その知識をもとに特注でこしらえさせた4チャンネルです。わたしはこのご先祖を真の豪傑として尊敬しています。
さすがに古いためにアナログ音声はともかく現代のデジタル音声を再生する分の相性は決していいとは言えず、低音と高音がはっきりと同居するような箇所では音が濁って聞こえることもあります。正直スピーカーくらいは変えた方がいいのかも知れません。が、ちょっと分かり悪い写真になっちゃってますが真ん中全体を占める巨大ウーファーの持つパワーは当時としては桁外れで現代でも十分通用するとんでもないものです。おまけにこの部屋は昔の倉を改造したもので、石造りの壁は戸を閉めてしまえばほとんど音が外に漏れることがなく、普通なら近所迷惑としてとても出せない大音量でも平気で堪能することができます。ちなみにテレビなど映像関係は置けません。ウーファーが大きすぎて壁を占拠してしまっているからです。これだけのものがありながらわたしはCDのような音楽ソフトを「二度と買うものか」と意図的に避けていたのですから、あのCCCDというものをわたしがどれだけ悍ましい存在と考えたかを察してください。ちなみにもったいながって叔父が年に数回利用していましたので故障ということはないです。

その封印を解くに「伊福部昭音楽祭」で購入したCDよりわたしにとってふさわしい存在はないでしょう。もちろんCDだけでなくレコードも使えるようにしてありますので、本当は同じく会場で売られていた「CDのようにサプリング周波数などの理由で完全再現ができないメディアと違い、可能な限りマスターテープの状態に近い音を再生できるLPレコード」の方がこのオーディオで再生するにはふさわしいのかも知れませんが、LPレコードを無事に家まで運ぶ自信がなかったのです。
さっそくCDを入れて、割れない程度に可能な限り大きな音量で再生しましょう。やはり音の透明感という点ではテレビにつなげているオーディオにも及びません。しかし、それは「耳で聞く」音楽として限定された条件の話。特別な思いで作られたこのオーディオは、伊福部サウンドを3つの音として出力します。「耳で聞く音」、「腹に響く音」、そして「足裏から伝わる音」の3つです。驚くことにただ聞くだけでは同じような重低音としか感じられない伊福部調が、このシステムでは「腹」と「足」のどちらに重心が置かれて演奏されているのか、はっきり体で理解できるのです。感じているうちにその意図するものがだんだんわかってきました。足裏から体を震わせ脳天から雷が落ちるような衝撃を受ける縦の音は原始的な本能を呼び起こす怪獣の音。腹を直撃し、真横に抜けていく音は後天的な人間の魂を震わす文明の音。それがまるで誰かの解説を聞くように理解できてしまうのです。「空の大怪獣ラドン」のような作品に作られた曲では一小節ごとに人間と怪獣どちらを意識して作られたかの違いまで分かるようでした。なるほど、伊福部昭氏は映画の音楽を演奏する際、演奏家たちに「これから演奏するのは音楽ではありません」と語っていたそうですが、確かに純粋な音楽ではありません。あくまで画面場面ありきの曲であり、そのために作曲された曲なのです。たとえCDから出る音であってもその音から画面を頭の中で再生できる程度に繰り返し見ていなければ真価はを読み取ることはできなかったでしょう。この音を感じ取るため、わたしは薄着に素足の状態で鑑賞しました。もちろん暖房などは雑音の元ですから使用しません
。生演奏とも映画を見ながらとも違う、家での利用だからこそできる音楽鑑賞の醍醐味を感じました。まぁ理想を言えば全裸鑑賞がベストなんでしょうが(笑)それはさすがにやりません。

途中で友人からの電話など(PHSもネットの電波も壁に遮断されて届かないのですが家電にかけて寄越しまして)若干妨害もありましたが過去にないほど音楽だけに没頭した濃厚な数時間を過ごすことができました。まさかわたしが家で聞く映像のない音だけにここまで没頭できるとは思ってませんでしたが、わたしも先祖の血を引く人間だったってことでしょう。だからと言ってわたしはやっぱり録画人間、クラシック音楽に傾倒することになることはないでしょうが。今はテレビのオーディオの方でもっと透明感のある音で聞いて違いを楽しみながらエントリーを書いてます。さて、この後は一緒に買ってきた「ゴジラソングブック」かな。石川進に子門真人にベルベラ・リーン~♪

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