
ゴジラポップ対ゴジラカップ
ゴジラです。
ゴジラであります。
見てきましたよ。見てきた以上、そしてここまでゴジラがどうだこうだと取り上げてきた以上、新作レジェゴジこと"GODZILLA"に触れないわけには行きません。あえて言おう、わたしはあれでは満足しないと。
(注:中身についてある程度触れています。まだ見ていないけどこれから鑑賞にいきたい方は極力読まないでください)
鑑賞前はなるべく情報は目に入れないようにしていました。日本版が公開されていたときもこれほどはなかった、と言わんばかりの大量書籍も買ってはいましたが詠まずに済ませていました。映画を見る前に評価を左右するような余計な情報を頭に入れたくなかったからです。まだ鑑賞していない映画を評価するのは最低の行為ですし、それまでは特に他者の感想はなるべく避けようと。それでも最低限の情報はイヤでも目に入ってしまいますけどね。それゆえに最初にみたゴジラのデザインはみなさんと同様、「ちょっと首太すぎじゃね?」でした。ですが、それは劇場で見た予告編や造形物が別の機会で目にするたびに杞憂に変わっていきました。確かに太めで特に正面から見たときはキングコングのごときマッチョ(CG用モーションアクターは2005年の「キング・コング」と同じ人だそうです)でしたが、ゴジラは正面から見た姿というのは意外と継承すべき項目はないものです。新しいゴジラを造型するとき、毎度困りつつも一番手を入れる余地があるのが正面の姿だそうですし、そこは太い首を中心とした姿で全く新しい姿を創造しつつ継承すべきゴジラ像、背びれから頭部へ向けてのラインは間違いなくゴジラのそれでした。BSの番組で酒井ゆうじ氏がもちこんだ試作型のレジェゴジのガレージキットは、レジェゴジであることに気づくより前にゴジラであることが認識できましたから(他のゴジラは見た瞬間に登場作品まで含めて個別判します)。
ですから期待感は高まりっぱなし。公開から数日たち、ようやく休日が取れてゴジラを見に行くことが出来る今日、朝からニヤニヤしっぱなし。どうしても少しでも早く見たかったので近所の画質の良くない劇場に行くしかありませんでしたが、その分は後日取り返せば良いでしょう。上映前の他作品の予告編を見たときの残像ひどさはちょっと早まったかと思われましたが、ガマンガマン。それにしても今日は日曜だし映画館のフロントは結構人が多かったのにゴジラの会場は思ったより観客が入っていません。比較的前のほうに陣取る習慣のあるわたしですが、前も左右もちょっと後ろも全く人がいなく、半分より後ろの真ん中あたりに固まっているばかりです。まぁわたしは広々楽々、半分貸切に近い状態で見ることが出来ますのでいいんですが、ちょっと心配。
いよいよ上映始まりました。記録映画調の冒頭にチラチラ映るその姿いいですねぇ。もうテンションあがりっぱなし、いい意味で笑いが止まりません。
しかし、残念ながらこの映画のストーリーの中心となる怪獣はゴジラではなく、終始新怪獣ムートーでした。ムートーには特に問題がありません。怪獣と書きましたがそのデザインはやはり洋怪獣のクリーチャー。それは正しいことです、今回はアメリカが作るのですから。ゴジラはしっかりと和の持つ基本テイストを受け継いだのだから、対戦怪獣はアメリカ調のクリーチャーとして描き、それと怪獣が戦うことに意義があるのです。ですが、もっとゴジラ中心で行くのかと思っていた設定が全部ムートーに行き着いてしまうのは、シリーズ第1作として少々不可解でした。研究機関がひた隠しにし続けた存在のことはともかく放射能との関連はてっきりゴジラのことだと思っていしそれっぽい説明もあったのに実はムートーのことだった、と気が付いたときは上っていた階段がいきなり下りになったような、置いてけぼりを食ったような妙な錯覚を思えました。きっぱり言って本作のゴジラはその存在も能力も行動原理も全く説明がなく、放射能に関しても「昔の核実験はゴジラを攻撃するための手段だった」という説明がある以外には全くありません。ただムートーの存在を察知し、それと戦いに来たのみでなんの背景も持っていません。まるでモスラかガメラのような存在です。
ただ、それも怪獣映画だと思います。それなら怪獣の格好良さ、戦いを前面に押し出してくれた展開をイヤでも期待します。ところがところが。ついにムートーを追いかけて出現したゴジラ、いよいよ最初のバトル開始・・・と思いきやテレビ中継の間接的表現に切り替え。ゴジラとムートーの戦いはこういう肩透かしばかりで、激突しそうになると扉が閉まって見えなくなったり、画面が切り替わって人々の様子を中心にしたりととにかく怪獣の戦いを映したがりません。もちろん本当に最後のクライマックスくらいは少しは映りますが、時間は非常に短くテンションがあがる前にあっけなく終わってしまいます。おーい、キング・オブ・ロストワールドみたいなB級じゃないんだからもっと怪獣見せてくれよ。これなら気持ち悪くて日本式怪獣を受け継いだ、なんて信じられなかったCGアニメ感丸出しの「パシフィック・リム」のほうがバトルだけはずっと満足感が高かったというものです。
じゃぁ人間との戦いだ!!!作中の時間は前後して中盤に戻りますがご勘弁。今回の主役はアメリカ軍の軍人。ゆえにストーリーは軍の視点からのもので、上陸するゴジラを阻止すべくおそらくゴールデンゲートブリッジだろう橋の上にアメリカ軍は防衛ラインを引きます。大勢の歩兵はもちろん戦車部隊も出動、特に道路のガードレースを踏み潰して向きを変え各車砲塔を一定の方向に向けるのが最高です、頭の中でメーサー車マーチが響きそうです。さらになんと言っても橋の下には海軍の戦艦や駆逐艦が何隻も控え、まさに総力戦。これだ、わたしはこれが見たかったのだ。これでも日本はもちろんアメリカ製の怪獣映画を見た本数でも誰にも負けない自負のあるわたしですが、どの映画をとってもアメリカ軍はどこが本気の感じられない一部の部隊だけが戦力の逐次投入みたいなしょぼい交代制で戦うものばかりでした。例えるなら「負けたら恥だから戦わない」のかWBCに大リーグの選手が全く参加しないアメリカチームみたいな印象が強かったのですが、ついに本気のアメリカ軍が戦うときがやってきたのです、しかも相手はゴジラ。言うことありません。さぁアメリカ軍は総火力とスピーディーな作戦で攻撃だ、ゴジラはここで必殺白熱光で反撃だ・・・。という期待を裏切るまさかの展開。いきなり現れて日本の映画ではありえないほど至近距離で対峙することとなったゴジラとアメリカ軍(ここはOK!)。が、それに大慌てで攻撃は背びれを中心にいくつか命中したものの大半は当たらず、砲撃は明後日の方向に打たれるばかり。ゴジラはアメリカ軍とろくに戦うことなく突破してしまいます。あああああああああ、そうじゃねぇ、そうじゃないんだ・・・。
どうやらギャレス・エドワーズ監督も結局米軍と怪獣をまともに戦わせる気はないようです。彼が描きたかったゴジラは、余計な思想や精神を勝手に持ち込まれたゴジラではなく、あこがれたヒーロー、他の怪獣と戦って勝つ怪獣王としてのゴジラだったようで、それは痛いほど伝わってきます。だから怪獣同士の戦いを本当は描きたかったんでしょう、でも描けなかった。日本の怪獣の場合、怪獣がその破壊力で建物を壊すシーンはよく描かれますが、その影響で人々が恐怖に陥ったり被害を受けたりするシーンは避けられます。一方レジェゴジはその逆で、怪獣が建物を破壊するシーンは抑え気味です、それによってパニックに陥る、明らかに死亡する人間のほうを中心に描いています。おそらくそのほうが迫力が出ると考えたからでしょう。でも、それではヒーローゴジラは描けません。ゴジラが破壊の意志を持って暴れるのでは鳴く、悪役ムートーと戦うという活躍シーンでもそれに巻き込まれて人々が死ぬシーンを描くしかないからです。原因と結果、どちらをメインにそえるかに逆の選択をしたため、肝心のゴジラを画面で活躍させることがほとんど出来なくなってしまうというジレンマを監督自ら抱えるしかなかったのではないでしょうか。中でも終盤傷つき倒れ、死んでしまったかに思われたゴジラが息を吹き返す箇所。これ、シーンとして省略され、いつの間にか立ってます。どう考えてもここは目を覚まし、全身を震わせながら雄雄しく再び立ち上がり、空に向かってその勝利と健在を誇る咆哮の一発もかますべきシーンでしょう。「ゴジラVSメカゴジラ」版のゴジラテーマが何より似合いそうです。でも、あれだけ人が固まっている場所でそれをやったら救世主ゴジラ復活で大勢の人々が死ぬ姿を書かざるを得ないゆえの省略としかわたしには思えません。
次回作も予定されているとのことですが、トライスター版「トラゴジ」もそういう話はありましたので確実かどうかは実際撮影が始まるばではなんともいえません。ただ、これ以上アメリカで作るのなら「GODZILLA」は捨てるべきではないでしょうか。GODZILLA、頭の三文字はGOD。日本の"神"と西洋圏の"神"は違います。ゴジラのGODは日本の神の概念に近いものです。GODの名がつく限り、アメリカでのゴジラはその神感にどこかとらわれたものになるしかないでしょう。今こそ「GODZILLA」ではなく「ゴジラ」に戻るべきなのです。